日記・コラム・つぶやき

2011年3月 2日 (水)

2月の記憶がありません。

どうして1年365日の帳尻を、2月が調整しなくてはいけないのか。

誰もやりたがらないけれど、誰かがやらなければいけない仕事を押しつけられている。ついてない月だと思う。しかも、なぜだか他の月より2日短い。2月に生まれた人は、自動的に少数派に属する。本当についてないな。

ひとは生まれた季節を好きになる。というが、それは、嘘である。2月は寒いし、動きたくないし、雪つもって鬱になる。フェブラリーステークスで勝ったこともない。船橋からの刺客 フリオーソが、2着に飛びこんでくる。テンションはずるずる後退する。ツキのない月である。

「なんで2月は28日までしかないのか」

と、しんしんと雪が降る帰り道に、ふと思う。

この積年の疑問をぶつける相手は、空しいことにローマ時代のジュリアス・シーザーしかいない。シーザーは、勝手に奇数月を31日、偶数月を30日と決めた。じゃあ2月は30日だったのか、と言うとそうではない。1年が366日になるんで、2月から1日うばって29日にした。で、閏年だけ30日にした。

「どうして、2月からとるんだ」

と、思うが、当時のカレンダーは農業のための暦で、2月は1年で最後の月だった。だから、帳尻あわせの標的になったようである。

「シーザーが29日にしたのはわかる。
 じゃあ、なんで今、28日しかないのか」

という話になるが、ここにも2月の悲劇がある。

シーザーの後継者のアウグストゥスとかいう輩が「俺、8月生まれだから、8月を31日にするから」とか言い出した。で、そこから一つずつ31日の月をずらし、8月以降は偶数月が31日になった。でも、そうなると1日増やしたから、また1年が366日になってしまう。だから…

「また、2月から1日とっちゃうか」

ということになった。2月の立場は弱いな。最後の月というだけで、搾取される月。満月が再び満ちて、満月になるまで29日。28日しかない2月は、満ちることなく過ぎてゆく月。権力をもった男ふたりの気まぐれを、2055年も真に受け続けている。

あっという間に、3月である。忙しすぎて、2月の記憶がありません。今日は、心から寒い。窓みたら、また雪がふってきて、ああもうどうにでもしてくれよという感じ。こんな日は、「ほっともも」しかないのである。

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2011年1月20日 (木)

友達から「KAGEROU」をもらった。

Kagerou1

誕生日プレゼントという名目で、誕生日のずっと手前に渡された。うちは、ゴミ箱ではない。ブックオフでは80円だった。80円プレゼントされたのか俺。メディア総出で作り上げた話題が最後にたどり着く浜辺が俺。空しいな。いわずと知れた水嶋ヒロこと齋藤智裕による小説である。

本は「この本はおもしろい」という売り文句で買われるものだと思っていたが、「この本を買うのがおもしろい」という売り方も出てきたんだな、と実感。出版社がボケて、テレビがふくらませて、ネットがつっこみ、消費者が笑いながら手に取るという流れ。KAGEROUは、そんな壮大な茶番劇に参加するためのチケットなんだろうな。

ほほえましく終息したブームの終わりに、アマゾンのレビューを記しておきたい。この本は、このコメントまでが作品だった。

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字が大きくゆとりをもった文字列のおかげで目の悪い私でもスラスラ読めました。


先代のマウスパットが汚れてきたのでこの製品を購入しました。236ページもあるとは思えないほど薄っぺらく、起伏も無く、また滑りも良いのでマウス操作が凄く楽になりました。


海外の原作物は翻訳者によって内容がすっかり変わってしまうというのは、よくあることです。本作も翻訳失敗の悪例のひとつですね。本当に本作を評価するのであれば原文で読まれることをお勧めします。


今日、たまたま散弾銃で撃たれましたが、たまたま懐に入れていた「KAGEROU」のおかげで助かりました!ヒロさんは命の恩人です。


最近めっきり寒くなってきました。そこでこの本を燃やして暖をとっていたところ炎の揺らめきに「KAGEROU」を見ることができました。感動しました。おそらく筆者は本は読むだけではないということを伝えたかったのだと思います。


暖をとるとか銃弾に撃たれてとか…適当なこと書かないで!これは立派な鍋敷きです。これからの季節にぴったりです。

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レビューも趣向をこらした名作ぞろいである。彼らレビュアーによって、この本は後生に残るものとなった。客を舞台に上げて語らせる手法は、アングラ演劇を思わせる。観客自身が主人公となってしまう『観客席』という物語をつくった寺山修司を思い出す。

「主人公はいつも俳優だけなのか?」

と、寺山修司は問いかけた。では、水嶋ヒロは何を問いかけているのか。
本をおもしろがる人まで、作品のひとつとするならば、これは「作者」と「読者」の境界線の破壊ともいえるかも知れない。

いやもしかして、誰かがこういうことを意識的に仕掛けてたのかもしれない。水嶋ヒロというバカにしか見えない俳優が、ネットを使って演劇的な虚構と現実の融合をもくろんで、日常を変える物語を世に送り出した可能性はある。

ま、そんなことありえやしないんだが。

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2011年1月12日 (水)

夕張が、おもしろくなってきた。

改めまして、あけましておめでとう。いつもストレスをお目にかけ、またそれを楽しみにしてくださってる方、ありがとう。まだまだ、くだらん煩わしいイライラに苛まれているが、ここらで小休止。

さて、夕張に動きがあった。現職の市長藤倉さんが、夕張市議に出馬することを決めた。ん?市長が市議になるのか。なんだそれ。市政や政治に直接関わったことのない人には、ずいぶんわかりにくい動きだ。

市長
「夕張再生に懸ける自分の気持ちを総括した結果、市長選に出馬しない。私が次に掲げる目標は『新しい議会づくり』で、次期市議選への出馬を決意した」

副議長
「どういうビジョンを持って、市議選に出馬するのかわからない。市長として何もできずに市議として何ができるのか疑問だ」

まわりも意図をはかりかねている。何を考えているんだ藤倉さん。敵か味方か、どっちなんだ。と現職市議や後援会や市長選に出る人たちは思ってるだろうな。

いいね。面白くなってきた。

「批判ばっかりして、お前ら市議は何してるんだ。」

という叱咤の意味での出馬だったらいいな。議員報酬はわずか18万円。もはや金だけではない男の心意気である。市長がわざわざ市議になるんだから、そこに本当の問題がありそうな気がする。見えないドロドロがあるんだろうな。

このことは、夕張市長選にも影響する動きだ。夕張にとどまることを選んだ現職の藤倉さんが、誰を支持するかで、勝負はだいたい決まっちゃうと思う。

ただ今の候補者

・東京都職員 鈴木直道氏(夕張応援職員)
・衆議院議員 飯島夕雁氏(小泉チルドレン)
・実業家 三上誠三(羽柴秀吉)

夕張はおろか北海道出身者ゼロ。
市民の目がこれ以上なく試される。

夕張は「金はないけど、愛はある」という桂楽珍のような能天気な標語を掲げているが、「金はないけど、うま味はある」という状態である。夕張でもいいから市長のイスに座りたい、夕張市長を踏み台にしてステップアップしたい、という人にはうってつけだ。

候補者みんな、夕張のためを思うなら、まずは市議に立候補してみたらどうだろうか。

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追伸

編集長、年賀状ありがとうございます。アダルトなチラシと市議候補のチラシの間にはさまれて隠れてました。エロと政治に挟まれるあたり、さすがです。3枚セットで送ってきたかと思いましたよ。

「ブログ見てるよ」なんて書いてあったが、見てるだけ? あなたの軽薄かつユーモアあふれるユルユルなエピソードを期待している読者もいる。物語豊富だった独身時代を思い出して、ぜひとも一筆奮起してください。

「寒い日は、コンドーム2枚がさねにしたほうがいい」
「コンドームでバルーンアートにチャレンジしたら破裂した」
「コンドームの数が足りない、と彼女に怒られた」
「コンドーム割り勘にしてたから、さらにしぼられた」

などなど、毎回笑いながら語ってくれた日々が懐かしい。

今でもハワイでコンドーム破裂させたり、おなか壊したり、飛行機に乗り遅れたり、空港のトイレ壊したり、変な病気もらったり、わがままを繰り返したりして夫人に世話やかせてるんだろう。そろそろ近況を報告してほしい。

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2010年12月 9日 (木)

最近のこと

海老蔵の記者会見が終わった。結果としては海老蔵の勝ち。知りたいことに答える記者会見ではなく、海老の言いたいことだけを言う謝罪会見になったわけだから。誰が負けたのかといわれると、テレビは視聴率を稼いだから、負けてるはずはない。

だが記者会見の限界は見えた。記者会見の「記者」って何だろうな。正しくは芸能リポーターの予定調和会見である。茶番以下の見世物。海老蔵には仇討ち&お家騒動を元に現代歌舞伎に仕立て上げて、「海老蔵忠臣蔵」でも作ってほしい。年末に討ち入れ。

さて、最近のCMである。

相変わらずジョージアは、浅はかに金を使う。ダウンタウンのエメマンバトルCM。明日があるさ、から10年経ったことにも驚きだが、そのセンスの劣化は甚だしい。吉本が「エメマン派」と「微糖派」に分かれバトル 。誰が興味あるんだ、そんなの。

世間の吉本に対する温度は、そこまで高くない。ダウンタウンの勢力争いとその金魚の糞の物語。お茶の間より芸能界というものを意識した軽薄なCMを作りつづけることがジョージアのアイデンティティになりつつある。今回も「ああ、またジョージアが芸能人で遊んでるよ」と思った。エンターテイメントの底が浅い。

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「明日があるさ」から10年、ジョージアにもう明日はない。

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2010年10月26日 (火)

1250年ぶりですね。

長年正倉院から消えていた陽宝剣と陰宝剣が、東大寺の大仏のひざの下から見つかった。

失われた宝剣か。
こういう歴史ロマンは大好物である。

持ち出せたのは光明皇后ただ一人らしい。光明皇后と言えば、たしか夫の聖武天皇が病弱になってくると、実権を握りだした女帝。薬草を集めて病人に施す施薬院と貧窮者の救済する悲田院を建てたナイチンゲール的存在だったという説もある。

しかも正倉院から持ち出された記録は759年だから、皇后が世を去る半年前にあたる。死を見すえて、世の安寧と平穏を願って大仏の下に埋めたのかもしれない。

と、ニュースが騒いでいる。

たしかに大仏は、干ばつや飢饉や地震を鎮める地鎮のためだったんだと思う。732年に干ばつ。733年に飢饉。734年にとどめの天平大地震、とくれば、もう大仏を作ろうという気持ちもわからんでもない。

ここから平和な現代人は、妄想をふくらませる。陰と陽を地から掘り返された。みたいなことから、もろに地震を予見する道教かぶれの輩も現れるだろう。動物(クマ)の異常行動から、確信を深める馬鹿もいるはずだ。じゃあ北陸で地震があるってことか。なんて、色めき立ってもしかたがない。世の安寧を願う宝剣を観て、不幸を想像するのも無粋である。

1215年後の現代、世は安寧とは言いがたいなぁ。また年末に施薬院と悲田院を合わせたような「派遣村」が出来るのだろうか。不況に失業、政変、尖閣、中国、異常気象とくれば、もう大仏でもつくるしかないのか。

陽宝剣と陰宝剣を埋めた光明皇后の気持ちを考えると、埋め直したほうがよいような気がする。ついでに仙谷も大仏の下に埋めたい。

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2010年10月20日 (水)

閑話 秋ソバ

ソバがうまい季節になってきたなあ。

最近は、ソバばかり食ってる。

北海道産のソバの旬は9月だけど、

たいてい新ソバと言えば10月だ。

いいソバが本当にうまいなあと思えるのは

やっぱり冷たいソバ。

茹でたてをサッと洗われてきたソバは

うっすら緑がかってて、

つやつや輝いてみえる。

口に運ぶと、ふんわりといい香り。

噛んだ時コシも、歯ごたえ上等、

ツツーっとのどを通るのどごしが心地よい。

で、ソバ自体になんというか、

みずみずしい甘みがある。

かつお節と醤油を効かせたタレは、

みりん少なめの甘過ぎない程度がいい。

ねぎは多めにどっさり入れたい。

そして、一息で、思いっきり、

ズズズーッと流し込む快感。

やっぱり秋はソバだなあ。

そういえば、

野球はクライマックスシリーズを

ロッテが勝ち抜いたそうだ。

ダルビッシュはファイターズ残留を

ブログで発表したそうだ。

北海道補選は町村が優勢だそうだ。

ハートレー第2彗星が今夜

地球に大接近するみたいだ。

中国が新型の攻撃型原潜を

配備したらしい。

このような記事に

ありがちな感想を寄せようかと思ったが、

やめた。

よく考えたら、

今日食った「もりそば」のうまさを

上回るニュースなんてない。

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2010年10月14日 (木)

ゲームというより罰ゲーム「日韓戦」

そば屋で麺をスパゲティーのようにくるくる箸に巻きこんで食べているおっさんを見た。

不思議だなぁ、と思っていたら、一緒にいた上司が「あれは、四十肩だからさ」と教えくれた。なるほどね。長い麺をほどくとき、箸を高く上げられないのか。そばと肩こりの関係なんて、年をとらないと見えない悩みだ。知りたくもなかったが、おもしろい。

さて、知りたくもない話をもう一席。

アクセス数が不気味な延び方をしているので、恐る恐る調べてみたら、気持ち悪い噂に出会う。

「有村智恵 週刊誌」

の検索が延びていて、どうやら、アサヒ芸能のこんな記事が原因らしい。

「横峯さくらレズ疑惑 有村智恵を誘惑」

あからさまなおもしろ芸能ネタ。梨元勝が生きていたら、腕まくりして取り組んでいたようなヤマである。こんなもんでも、自称ファンで他称オタクの人たちが本気で反応するんだろうな。

「アサヒ芸能」

で検索してみたら出てくる出てくる候補フレーズ。

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「有村智恵 アサヒ芸能」「アサヒ芸能 有村」
「横峯さくら アサヒ芸能」「アサヒ芸能 有村
知恵 横峯さくら 有村智恵 アサヒ芸能」「ア
サヒ芸能 10/12」

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踊らされすぎである。あまりにも男の影がなさすぎる女性を、エロい想像にもってく時の常套手段が「レズ疑惑」。ウソだったとしてもエロ楽しい話だし、マジだったらエロいだけ。怒るのは目が本気のファンだけである。俺の「ありちぃ」を汚すな!傷つけるな!という具合だ。妄想の中でさんざん汚しておいて、よく言うよ、である。

有村智恵って、けっこうファンがいるんだなぁ。

と、いうのが今回の件の感想である。
もうそれ以上は言うまい。
有村のはちきれんばかりのふくらはぎや、横峯オヤジのしゃぶしゃぶ店をプロレスラーに襲わせた件などには、あえて触れないでおこう。言うとまた、長渕ファンの頃のような悲劇が繰り返される。ネットフーリガンの団体客はもうこりごりである。

あと、フーリガンといえば、日韓戦。

韓国戦って、視聴率と引き換えに選手を失う試合なんだと再確認。

カネ目当てだろうけど、定期化したとたんに視聴率が落ちていくと思うから、選手を失うリスクだけが残ると思う。ゲームというより罰ゲーム。罰ゲームを定例化してつまらなくなったダウンタウンの特番を思い出す。ザッケローニもイタリア人監督だから、マルディーニの頭をシュートするような選手のいる国との試合はヤだろうな。代表人気向上策として韓国を焚きつけようとしてるけど、韓国人を嫌いになる機会が増えるだけだと思う。抗争を過剰に演出してプロレスみたいにはしないでほしいもんだ。

さてさて、ほとぼりが冷めたようなので、ぼちぼち更新を再開させていただきます。

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2010年9月25日 (土)

自殺と季節について

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暑い、暑いといらだちをぶつけていた気温が、
急に冷たくなっていた。
これはこれで、なんだか寂しいものである。
いつもけんかしていた友達が
急にどこかにいってしまったような切なさがある。

ただいま札幌は11度。
外を歩くと数字以上に秋を感じて
メランコリックになる。

テレビをつけるといつも明るい世界が輝くけれど、
その明るさの理由はなんだろう。
関西弁だろうか。
陽気にぐちるというのは
関西弁ならではの力だ。

たとえば、ちょっと切ない詩でも、
関西弁にしてみたら、明るくなるような気がして
草野心平の詩を大阪弁にしてみる。

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「秋の夜の会話」


さむいね。

ああさむいね。

虫がないとるね。

ああ虫がないとるね。

もうすぐ土の中やね。

土の中はいややね。

自分ガリガリやね。

君もえらいガリガリやね。

どこがこんなに切ないんやろね。

腹ちゃうかね。

腹とったら死ぬんちゃうかね。

死にたないね。

さむいね。

ああ虫がないとるね。

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切なさそのものは変わらんが、
へんなおかしみが奇妙なあたたかみにかわる。
では、もっと切ない詩でもいじってみよう。
吉原幸子なんてどうだろう。

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「無題(ナンセンス)」

風 吹いとる

木 立っとる

ああ こんなよる 立っとるんか 木

風 吹いとる 木 立っとる 音しとる

よふけの ひとりの 風呂場の

せっけんの泡 かにみたいに吐きだす にがいあそび

ぬるいお湯

なめくぢ 匐っとる

風呂場の ぬれたタイルを

ああ こんなよる 匐っとるんか なめくぢ

おまへに塩をかけたるで

するとおまへは おらんくなるくせに そこにおる

  おそろしさとは
  おることか
  おらんくなることか

また 春がきて  また 風が 吹いとるのに

わたしはなめくぢの塩づけ  わたしはおらん

どこにもおらん

わたしはきっと せっけんの泡に埋もれて 流れてしまったんよ

ああ こんなよる

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暗い感じは残るが、なんだかおかしくなってくる。
しかも女の関西弁はへんに色っぽくなっていかん。
こんどは男の関西弁のごつごつした感じをためしてみる。
へびに飲まれて死んでいくカエルの話。
草野心平の大好きな詩。

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「ヤマカガシの腹のなかから仲間に告げるゲリゲの言葉」


痛いのは当り前やろが。

声たてるのもしゃーないやろ。

めっちゃ食われとるんやで。

わしはぜんぜん泣いとらんがな。

遠くでするコーラスに合わして歌うたるがな。

泣き出してもしゃーないやろ。

みんな生理のお話やないか。

どてっぱらから両脚はグチャグチャ喰ひちぎられてしまって。

いま逆歯が胸んところにめっちゃ突きささっとるが。

どうせもうすぐ死ぬんやないか。

みんなの言うのを笑ひながして。

こいつの尻尾に喰らひついたわしが。

ベタなほど当り前にこいつに喰ひちぎられて

ベッタベタにはっきり死んでゆくんや。

後悔なんてもんこれっぽっちもあるかいな。

泣き声なんてもんは。

みんな安心せえや。

みんな生理のお話やないか。

わしはこいつの食道をギリリギリリさがってゆく。

ガルルがやられたときのように。

こいつは木にまきついてわしを圧しつぶす気や。

そしたらわしはぐちゃぐちゃになるんや。

ふんせやからどやねん。

死んだら死んだで生きていくがな。

わしの死際に君らの万歳コーラスがきこえるやうに。

ドシドシガンガン歌うてくれや。

しみったれ言はなかったわしやないか。

ゲリゲやないか。

満月やないか。

満月はわしらのお祭やないか。

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やっぱり関西弁には、たくましさが似合う。
なんとなくダウンタウンの浜田が浮かんでくる。
ダウンタウンを見て自殺を思いとどまった人がいるのも
なんとなく納得。

貧乏やいじめを苦に自殺するひとがいるけれど、
まわりのせいで自殺を選んだら、
それは他殺じゃないのかな。
と、寺山修司がいっていた。

そして、

じぶんを殺すことは、おおかれすくなかれ、たにんをきずつけたり、ときには殺すことになる。そのため、たにんをまきこまずには自殺もできない時代になってしまったことを、かんがえながら、しみじみとえんぴつをながめている。

とまで書いている。
ひらがなは繊細なことをいうときにやさしい。

なんだろう。
秋は憂鬱になる。
自殺者は春にいちばん多く、
10月にわずかに増えている。
なんとなく、わかる。

こんなとき、吉原幸子の詩に、
なんどなぐさめられたか知れない。

ああ こんなよる
立っているのね 木

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2010年9月24日 (金)

悪口じゃないんだからね。

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なんでタレントCMの悪口が多いのか。

と、よく聞かれる。その場ではめんどうになっててきとうにかわしてあいまいなへんじをしながらうやむうにしている。でもいつも、心の中でちゃんと答えはまとまっているんです。

CMには、有名人の意味が端的に、濃密に、つめこまれてる。

大企業がベタなブランド価値を求めるときに重宝されるキムタク。筋肉の世界にしか生息できないケインコスギという生物。仲間由紀恵のスキャンダルのない悲しい年の取り方。モーニング娘たちのその後の明暗。クリエイターたちの瑛太への寵愛。蒼井優の敵をつくらない人気の上がり方。ある日突然始まる数十秒に、その人が現在おかれている人生が現れては消えてゆく。業界人の意味を読むときに、これ以上楽しい素材はない。とくに新製品が出ては消えるケータイや発泡酒のCMに起用されるタレントには、浮き世のエレジーさえ感じる。

で、企業が消費者と手をつなごうとするときの気持ちも見えて、さらにおもしろい。スマップの起用でもはや成功したと勘違いする消費者をなめた態度、仲間由紀恵クラスを使えば安っぽくならないと信じているアホさ加減、今絶賛の芸人を起用して先駆けた気になってる頭の軽さ、かわいいキャラクターつかってれば誰にも攻められず人気が出ると信じ込む単純さ。人気があるから、という理由で思考停止の宮崎あおいや上戸彩起用。そして、それらがつまんないことに気づいて、精一杯の抵抗を試みる心意気。

有名人ばっか使うと、日本人だけの究極の内輪ネタでCM文化が後退すると思っている人もいるが、そんなことはないと思う。木村カエラや反町のようにメディアと同じ文脈で使ってもインパクトは皆無だが、藤岡弘や沢口靖子のような新しい意味を発見できれば可能性はまだまだある。CMがテレビをおもしろくすることだってできる。

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そうして作られたタレントの野心や企業の期待をぎっしりつめこんだ15秒は、テレビ番組に戻ると瞬く間に忘れられる。

その儚さがいい。映画のようにDVDに残ることもない。音楽のように繰り返し聞かれるものでもない。テレビ番組のように好き嫌いを語るファンも少ない。小説のように一生の友にもなることは決してない。評判が最悪なのにシリーズで続けられることが決まっている重い宿命を背負った仕事もあり、一週間で死ぬ運命を背負った蝉のように決死でわめく熱い命もある。

その命の短さが美しい。たった15秒の、すぐに忘れられてしまうわずかな時間を、記録しておきたいという気持ちがわいてくる。誰かが一生懸命つくったから、覚えておいてあげたいとかいう気持ちは全くない。ただ、CMには、子どもが大きくなって飽きられて捨てられる、おもちゃのような哀愁があると思う。

だから、多いのはCMの悪口ではない。エールである。
なので、直メールの抗議とかは勘弁してください。

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2010年9月17日 (金)

セイコーマートの歌が覚えられない

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覚えたくはない。だが、歌詞があいまいな状態がつづくと、イライラもつづく。セイコーマートの歌が気になったら、今日一日は頭の中を支配されたと言っていいだろう。仕事の能率は落ちるし、目はうつろになるし、胃はむかむかするし、やる気が吸い取られる。ただひたすらえんえんと、頭の中をYASUの声がリピートする。しかも、適当に聞いてるから、歌詞があいまいで、正確に脳内で再生されないミョーなジレンマがある。この呪いを解くには、歌詞を知るしかない。

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がんがん食べよう! 毎日食べよう! 
おなかがすくのは生きてる証ィ!
がんがん食べよう! 三食しっかり! 
どうせだったらおいしいほうがいい〜
おにぎり1個じゃ ちょっと足り〜なぁ〜い
カップラーメンの後に 甘い甘いデザートぉ
食後の缶コーヒィィィィィ〜

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以上が、基本の曲。これはまあ覚えられる。許せる。短いから。だが、ワインの曲というのが、長いんだ。たいていの人がおぼえる前に店を出る。または、曲の途中から店に入る。記憶はこまぎれになって、さらにもどかしい。そしてなにより、「絶対聞き取れない謎の歌詞」が俺を悩ましつづけるのだ。記憶は、歌詞のほとんどを再生できるのに。

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ワインを飲もう それはふたりの
心の扉をあける鍵
ワインを飲もう 今夜ふたりで
おそろいのグラスに注いで

ワインってとても 不思議なものね
ふたりの呼吸を すてきにかえる
出会ったころの ふたりのように
今夜おどろう 君はすてきだ

ワインを飲もう 月あかりの中
ずっといっしょに笑っていたい
ワインを飲もう 君とふたりで
魔法の香りにつつまれ

今日ふたりの 記念日だから
グラスに注ぐ 思いが(ここが聞こえない)
ずっとふたりで 歩いてきた道
やさしいワインの香りに包まれて

ワインを飲もう ワインを家で
ワインを海で ワインを山で
ほっとワイン ありがとワイン
ジャストワイン ずっとワイン
あ・な・た・とワ・イ・ン

ワインを飲もう それはふたりの
心の扉をあける鍵
ワインを飲もう 今夜ふたりで
おそろいのグラスに注いで

ワインを飲もう 月あかりの中
ずっと一緒に笑っていたい
ワインを飲もう 君とふたりで
魔法の香りにつつまれ

ワインを飲もう それはふたりの
心の扉をあける鍵 
ワインを飲もう 月あかりの中
お気に入りのグラスに注いで

ワインを飲もう×2

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今日ふたりの記念日だから、グラスに注ぐ思いがホニャララ。と、いうところ。ものすごい適当に歌っている。グラスにいったい、どんな思いを注いでいるのか。知りたくないよ。覚えたくもない。どうでもいいし、勝手にしてほしい。けど、気になってイライラするのはなんなんだ。なにいってんだ、この野郎。俺をどうするつもりだセイコーマート。もうだめだ。誰か。

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