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2010年9月28日 (火)

ダルビッシュは泣いてくれるだろうか。

2010年、24歳でダルビッシュはMLB挑戦を決めた。これで、ファイターズも終わりである。行かない、行かないって、夢すら見てないよ、と言い続け、「国内で200勝したい」とまでのたまってきたが、こんなもんである。楽天の岩隈と仲良くポスティング。MLBの植民地政策であるWBCが功を奏している。そこらへんの球界問題は、江夏がプレイボーイでぼやいてくれるだろう。ドーム球場のないメジャーで活躍できるのか。国際大会でいい成績残してないけど大丈夫か。移籍金はいくらになるだろうか。とか、野次馬はいろいろ考えるわけだが、気にしてもしょうがない。ただ、北海道のファンとして気になることが、ひとつ。ダルビッシュは、泣いてくれるだろうか。もし涙を流したら、それは日ハムファンにだけ与えられた幸せである。

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2010年9月25日 (土)

自殺と季節について

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暑い、暑いといらだちをぶつけていた気温が、
急に冷たくなっていた。
これはこれで、なんだか寂しいものである。
いつもけんかしていた友達が
急にどこかにいってしまったような切なさがある。

ただいま札幌は11度。
外を歩くと数字以上に秋を感じて
メランコリックになる。

テレビをつけるといつも明るい世界が輝くけれど、
その明るさの理由はなんだろう。
関西弁だろうか。
陽気にぐちるというのは
関西弁ならではの力だ。

たとえば、ちょっと切ない詩でも、
関西弁にしてみたら、明るくなるような気がして
草野心平の詩を大阪弁にしてみる。

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「秋の夜の会話」


さむいね。

ああさむいね。

虫がないとるね。

ああ虫がないとるね。

もうすぐ土の中やね。

土の中はいややね。

自分ガリガリやね。

君もえらいガリガリやね。

どこがこんなに切ないんやろね。

腹ちゃうかね。

腹とったら死ぬんちゃうかね。

死にたないね。

さむいね。

ああ虫がないとるね。

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切なさそのものは変わらんが、
へんなおかしみが奇妙なあたたかみにかわる。
では、もっと切ない詩でもいじってみよう。
吉原幸子なんてどうだろう。

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「無題(ナンセンス)」

風 吹いとる

木 立っとる

ああ こんなよる 立っとるんか 木

風 吹いとる 木 立っとる 音しとる

よふけの ひとりの 風呂場の

せっけんの泡 かにみたいに吐きだす にがいあそび

ぬるいお湯

なめくぢ 匐っとる

風呂場の ぬれたタイルを

ああ こんなよる 匐っとるんか なめくぢ

おまへに塩をかけたるで

するとおまへは おらんくなるくせに そこにおる

  おそろしさとは
  おることか
  おらんくなることか

また 春がきて  また 風が 吹いとるのに

わたしはなめくぢの塩づけ  わたしはおらん

どこにもおらん

わたしはきっと せっけんの泡に埋もれて 流れてしまったんよ

ああ こんなよる

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暗い感じは残るが、なんだかおかしくなってくる。
しかも女の関西弁はへんに色っぽくなっていかん。
こんどは男の関西弁のごつごつした感じをためしてみる。
へびに飲まれて死んでいくカエルの話。
草野心平の大好きな詩。

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「ヤマカガシの腹のなかから仲間に告げるゲリゲの言葉」


痛いのは当り前やろが。

声たてるのもしゃーないやろ。

めっちゃ食われとるんやで。

わしはぜんぜん泣いとらんがな。

遠くでするコーラスに合わして歌うたるがな。

泣き出してもしゃーないやろ。

みんな生理のお話やないか。

どてっぱらから両脚はグチャグチャ喰ひちぎられてしまって。

いま逆歯が胸んところにめっちゃ突きささっとるが。

どうせもうすぐ死ぬんやないか。

みんなの言うのを笑ひながして。

こいつの尻尾に喰らひついたわしが。

ベタなほど当り前にこいつに喰ひちぎられて

ベッタベタにはっきり死んでゆくんや。

後悔なんてもんこれっぽっちもあるかいな。

泣き声なんてもんは。

みんな安心せえや。

みんな生理のお話やないか。

わしはこいつの食道をギリリギリリさがってゆく。

ガルルがやられたときのように。

こいつは木にまきついてわしを圧しつぶす気や。

そしたらわしはぐちゃぐちゃになるんや。

ふんせやからどやねん。

死んだら死んだで生きていくがな。

わしの死際に君らの万歳コーラスがきこえるやうに。

ドシドシガンガン歌うてくれや。

しみったれ言はなかったわしやないか。

ゲリゲやないか。

満月やないか。

満月はわしらのお祭やないか。

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やっぱり関西弁には、たくましさが似合う。
なんとなくダウンタウンの浜田が浮かんでくる。
ダウンタウンを見て自殺を思いとどまった人がいるのも
なんとなく納得。

貧乏やいじめを苦に自殺するひとがいるけれど、
まわりのせいで自殺を選んだら、
それは他殺じゃないのかな。
と、寺山修司がいっていた。

そして、

じぶんを殺すことは、おおかれすくなかれ、たにんをきずつけたり、ときには殺すことになる。そのため、たにんをまきこまずには自殺もできない時代になってしまったことを、かんがえながら、しみじみとえんぴつをながめている。

とまで書いている。
ひらがなは繊細なことをいうときにやさしい。

なんだろう。
秋は憂鬱になる。
自殺者は春にいちばん多く、
10月にわずかに増えている。
なんとなく、わかる。

こんなとき、吉原幸子の詩に、
なんどなぐさめられたか知れない。

ああ こんなよる
立っているのね 木

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2010年9月24日 (金)

悪口じゃないんだからね。

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なんでタレントCMの悪口が多いのか。

と、よく聞かれる。その場ではめんどうになっててきとうにかわしてあいまいなへんじをしながらうやむうにしている。でもいつも、心の中でちゃんと答えはまとまっているんです。

CMには、有名人の意味が端的に、濃密に、つめこまれてる。

大企業がベタなブランド価値を求めるときに重宝されるキムタク。筋肉の世界にしか生息できないケインコスギという生物。仲間由紀恵のスキャンダルのない悲しい年の取り方。モーニング娘たちのその後の明暗。クリエイターたちの瑛太への寵愛。蒼井優の敵をつくらない人気の上がり方。ある日突然始まる数十秒に、その人が現在おかれている人生が現れては消えてゆく。業界人の意味を読むときに、これ以上楽しい素材はない。とくに新製品が出ては消えるケータイや発泡酒のCMに起用されるタレントには、浮き世のエレジーさえ感じる。

で、企業が消費者と手をつなごうとするときの気持ちも見えて、さらにおもしろい。スマップの起用でもはや成功したと勘違いする消費者をなめた態度、仲間由紀恵クラスを使えば安っぽくならないと信じているアホさ加減、今絶賛の芸人を起用して先駆けた気になってる頭の軽さ、かわいいキャラクターつかってれば誰にも攻められず人気が出ると信じ込む単純さ。人気があるから、という理由で思考停止の宮崎あおいや上戸彩起用。そして、それらがつまんないことに気づいて、精一杯の抵抗を試みる心意気。

有名人ばっか使うと、日本人だけの究極の内輪ネタでCM文化が後退すると思っている人もいるが、そんなことはないと思う。木村カエラや反町のようにメディアと同じ文脈で使ってもインパクトは皆無だが、藤岡弘や沢口靖子のような新しい意味を発見できれば可能性はまだまだある。CMがテレビをおもしろくすることだってできる。

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そうして作られたタレントの野心や企業の期待をぎっしりつめこんだ15秒は、テレビ番組に戻ると瞬く間に忘れられる。

その儚さがいい。映画のようにDVDに残ることもない。音楽のように繰り返し聞かれるものでもない。テレビ番組のように好き嫌いを語るファンも少ない。小説のように一生の友にもなることは決してない。評判が最悪なのにシリーズで続けられることが決まっている重い宿命を背負った仕事もあり、一週間で死ぬ運命を背負った蝉のように決死でわめく熱い命もある。

その命の短さが美しい。たった15秒の、すぐに忘れられてしまうわずかな時間を、記録しておきたいという気持ちがわいてくる。誰かが一生懸命つくったから、覚えておいてあげたいとかいう気持ちは全くない。ただ、CMには、子どもが大きくなって飽きられて捨てられる、おもちゃのような哀愁があると思う。

だから、多いのはCMの悪口ではない。エールである。
なので、直メールの抗議とかは勘弁してください。

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2010年9月22日 (水)

芸人は、芸人の世界を笑えない。

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最近の芸人は俳優もできなきゃならん空気がある。俳優になるためのステップとして吉本に入った輪カーンの宮迫、ふとった塚地、ナイナイ岡村、アリとキリギリスのアリのほう、、、数えきれないほどの役者が芸人をやっている。逆か。

ジャニーズのコントに芸人がいらつくように、芸人の演技に俳優もいらついてるはずだ。どっちもいらつくだけ不毛である。お互いにリスペクトがない以上、ばかにしあっていればいい。見ているほうは面白ければ満足だ。アイドルはお笑いをする、芸人は演技をする、役者はコンサートをする。それでいい。ただ、芸人だけはすべてを笑っていてほしい。

アメトークで役者きどり芸人とか、映画監督芸人とか、上下関係芸人とか、やんないのかな。やんないだろうな。世の中の不条理とか、学歴タテ社会のくだらなさとかを笑わせてくれるのは芸人だけだったのに、今や自分たちが所属する世界を笑えないジレンマを抱えている。他ジャンルからの進出をもっとも許さないものになった。志村けんぐらいじゃないかな、アイドルをコントに出すの。

お笑いがいちばんえらい。みたいな状況は、本末転倒である。貴花田が初優勝した翌日に「あのブタ、優勝したらしいで」と言い放つ反骨、島田紳介を靴べらと呼ぶ感性、それこそがお笑いだった。縛られないからこそ、おもしろい。芸人はえらくないからこそ、えらいんだと思う。しがらみのある芸人の世界は今、一般人からみて笑える状況にある。芸人が芸人の世界に縛られている。


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2010年9月21日 (火)

美空ひばり「愛燦燦」のカタルシス

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カラオケというのは、やっぱりブームだったんだろうな。

ボウリングをやりまくった世代というのがあるように、カラオケにも世代で是非がわかれてきた。ワカモノを誘ったら露骨に嫌な顔をする。羞恥心を捨てなきゃカラオケは楽しくないのはわかるんですが、羞恥心を捨てる必要があるんですか、そこまで人は会社の奴隷じゃないですよね、というような目でじっと俺を見る。そして、ゲイに掘られて開眼したゲイみたいで、僕はゲイになりたくもないじゃないですか、なんて曲がった極論で返してくる。正論は、正しく伝えてこそ、正論なんだがね。

必要なんですか、好きじゃないですから、と、ワカモノ。
いいからこいよ、これも仕事のひとつだ、と、おっさん。
あいだに挟まれると、おれサラリーマンだなあ、
という実感がしみじみ身をひたす。

さて、また行ったよ、カラオケのある店。店長が「ママ」と呼ばれる系統の。

スナックは「ママ!ママ!」と、くり返し呼びながら、大人が子どもに帰る場所。もう「ママ」と呼べなくなった男たちの哀しい遊び。ママも、ママであろうとして、こんな歌を歌ったりする。

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「愛燦燦」 

歌:美空ひばり
作詞・作曲:小椋佳 

雨 潸々と この身に落ちて
わずかばかりの 運の悪さを
恨んだりして
人は哀しい 哀しいものですね

それでも 過去達は
優しく睫毛に 憩う
人生って 不思議なものですね

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すごいなあ、この歌詞。言葉をひとつ間違えると、世界は壊れる。

この世界に降る雨は、ぱらぱらでもざーざーでもなく、潸々と、でなければいけない。雨を、人生に降りかかる不幸としているなら、強すぎてはいけない。潸々と降らすことで、そんなに人生つらくないよ、という思いをこめている。人を救おうとしている気持ちが見える。

主人公に降る雨も、雨に濡れて、打たれてとかではなく、「この身に落ちて」という人の運命を漂わす表現がふさわしい。不運の程度も、わずかばかり、と言わなければ誰も救えない。どれだけつらいことがあっても、わずかばかり、という軽い笑いとばし感がないと、ただの恨み節になる。

そして、「人は哀しい」という、さけようもないオチ。これをもう一度、哀しいものですね、とすることで、誰かの孤独な悲しみを、お互い大変だよね、と共有化してやわらげる。ここまでのわずか4行で、誰もが、雨の日の美しいワンシーンを頭に思い描けると思う。

歌詞は、それでも「過去達は優しく睫毛に憩う」と続く。

たぶん、振り返ればすべて、いい思い出になりますよ、というような意味。ちょっとわかりづらいけど肯定的にとらえるなら、個々のイメージを投影できる場所をつくったんだと思う。個人的には、睫毛をふせて涙をとめている絵を想像した。雨が顔をつたい、涙に変わろうとするその時、ひさしとして睫毛がある。つらい思い出をやわらげる「憩い」があるイメージ。

そして「人生って不思議なものですね」と続く。

人は哀しいですね、けれども、人生は不思議ですね。という流れは、ただ、ただ、美しい。雨にふたつの意味を発見したんだろうな。この身に落ちる不運としての雨が、いつしか、心を洗い流す浄化の雨になっている。雨が悲劇の舞台と浄化の装置をかねている。雨を人生に重ねた歌はいろいろあると思うけれど、ここまで的確に本質をつけるのは、やっぱり技だなあ。美空ひばりという芸名すら、詩の一部に感じられる。聴き手の想像力を信頼しているから、こんな世界が書けるんだろう。

その世界は、1番を歌い終えたママに、おっさんたちが声援を送った瞬間、終わった。

「ママー!最高!」

「結婚してくれー!」

「ヨッ!平成のひばり!」

「ママさんさん!」

ああ、なんなんだろ、この夜。

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2010年9月18日 (土)

CMの精神が醜悪。日清カップヌードル

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今さら、いうべきことじゃないけれど、あんまり続くから苦痛になってきた。

ミーシャ、ジャミロクワイ、そしてグレイ。話題だからシリーズになっているのだろう。でも、「驚きのあるCM」ということもできるが、正確には「困惑」だ。「笑いのあるCM」ということもできるが、正確には「失笑」である。

パッと見たとき、誰もがまず、アーティストの神経を疑う。名曲はファンとの絆、それを自分からぶったぎる。こんなクソCMですべてを棒にふることはない。それぞれのアーティストをディスって、カップヌードルを買わないようにけしかけているかのようだ。心をこめて、ひどいといえる。

その後に、いろんな低俗に気づいていく。「ビッグネーム」ということもできるが、その前に「落ち目の」という言葉がかくれている。「名曲のパロディー」といえるが、「ただの替え歌」である。しかも圧倒的にクオリティーの低い替え歌。くだらないの一言である。

そして、目立たないが、もっともひどいのが、CMの根本を形成するメッセージ。いったい何が言いたいのか、っていう部分だ。

それが、ただのスケールのでかい自慢なんである。

ノーボーダーのCM。フリーダムのCM。そして今回の「この味は、世界にひとつ」シリーズ。日清の看板商品カップヌードルは、ほかのカップめんにはできない、とにかく話題になるどでかいことをやらかそうとする気概は見える。だが、世界を意識した企業エゴだけがふくらんだCMは醜悪だ。客を無視した企業の自己満足CMをいつまで続けるのか。会社がでかいのはわかったよ。世界企業なんだね。日清が訴え続けているメッセージは、俺たちの商品はすごいだろう、という自慢だけ。自慢ばっかりしていると嫌われる。簡単なことだ。

CMのもっとも醜悪な形を、日清は追い求めている。アーティストとファンの絆が楽曲であるように、商品と消費者の絆はCMだったりする。自己満足は、世界中の誰ひとり幸せにできない。すべてにおいて低俗な、近年まれに見るクソCMである。


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2010年9月17日 (金)

セイコーマートの歌が覚えられない

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覚えたくはない。だが、歌詞があいまいな状態がつづくと、イライラもつづく。セイコーマートの歌が気になったら、今日一日は頭の中を支配されたと言っていいだろう。仕事の能率は落ちるし、目はうつろになるし、胃はむかむかするし、やる気が吸い取られる。ただひたすらえんえんと、頭の中をYASUの声がリピートする。しかも、適当に聞いてるから、歌詞があいまいで、正確に脳内で再生されないミョーなジレンマがある。この呪いを解くには、歌詞を知るしかない。

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がんがん食べよう! 毎日食べよう! 
おなかがすくのは生きてる証ィ!
がんがん食べよう! 三食しっかり! 
どうせだったらおいしいほうがいい〜
おにぎり1個じゃ ちょっと足り〜なぁ〜い
カップラーメンの後に 甘い甘いデザートぉ
食後の缶コーヒィィィィィ〜

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以上が、基本の曲。これはまあ覚えられる。許せる。短いから。だが、ワインの曲というのが、長いんだ。たいていの人がおぼえる前に店を出る。または、曲の途中から店に入る。記憶はこまぎれになって、さらにもどかしい。そしてなにより、「絶対聞き取れない謎の歌詞」が俺を悩ましつづけるのだ。記憶は、歌詞のほとんどを再生できるのに。

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ワインを飲もう それはふたりの
心の扉をあける鍵
ワインを飲もう 今夜ふたりで
おそろいのグラスに注いで

ワインってとても 不思議なものね
ふたりの呼吸を すてきにかえる
出会ったころの ふたりのように
今夜おどろう 君はすてきだ

ワインを飲もう 月あかりの中
ずっといっしょに笑っていたい
ワインを飲もう 君とふたりで
魔法の香りにつつまれ

今日ふたりの 記念日だから
グラスに注ぐ 思いが(ここが聞こえない)
ずっとふたりで 歩いてきた道
やさしいワインの香りに包まれて

ワインを飲もう ワインを家で
ワインを海で ワインを山で
ほっとワイン ありがとワイン
ジャストワイン ずっとワイン
あ・な・た・とワ・イ・ン

ワインを飲もう それはふたりの
心の扉をあける鍵
ワインを飲もう 今夜ふたりで
おそろいのグラスに注いで

ワインを飲もう 月あかりの中
ずっと一緒に笑っていたい
ワインを飲もう 君とふたりで
魔法の香りにつつまれ

ワインを飲もう それはふたりの
心の扉をあける鍵 
ワインを飲もう 月あかりの中
お気に入りのグラスに注いで

ワインを飲もう×2

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今日ふたりの記念日だから、グラスに注ぐ思いがホニャララ。と、いうところ。ものすごい適当に歌っている。グラスにいったい、どんな思いを注いでいるのか。知りたくないよ。覚えたくもない。どうでもいいし、勝手にしてほしい。けど、気になってイライラするのはなんなんだ。なにいってんだ、この野郎。俺をどうするつもりだセイコーマート。もうだめだ。誰か。

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2010年9月16日 (木)

有村智恵プロのバンテリンCM

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クルム伊達公子がラケットで湿布を打ってびゅーんと飛ばしているCMから、鮮やかなボレーを決めたと言っていいだろう。有村智恵プロ登場のバンテリンCMである。

CMの内容をおさらいしておこう。有村プロがゴルフボールをかっとばす。ドライバーをフルスイングするそのフィールドは、実はゴルフ場ではなかった。画面が引いていくと、なんとそこはバンテリンを塗る、あのスポンジ部分。スースーする部分に小さな有村がじかで立っている。そして、さわやか笑顔で「バンテリン!」。

あほだね、バンテリン。大好きだよ。

どうしてこんな企画が通ったのか、なぜ有村は許したのか、を考えてホームページをみてみたら、理由はすぐあった。

「バンテリンコーワ液Wは、広い患部にもしっかり塗れる、ワイドスポンジ」

これだろうな。というか、ちゃんとCMみてればわかるのか。スポンジ部分が大きくなったから、そこに立たせちゃえ、ってことだ。訴求ポイントにブレはない。しかもバンテリンらしさは残す。そして、有村にばかばかしさを気づかれず、最高の笑顔をもらう。たくさんのすばらしい仕事が、くだらないCMに注がれている。

松坂のまじめくさった「痛みに、どストライク!」には、面白さのかけらも見いだせない。やはり出演タレントを適度にだましている感じが、この面白さの源だろう。有村がスポンジの上で打つ自分をあほらしく感じながらも、「ワイドスポンジだからですね」とディレクターなんかに説得されていく様子が浮かんでくる。ふつうに考えたら、ワイドスポンジだからって、その上でゴルフをする理由にはならない。

あまりのくだらなさに、全身の筋肉がふっとゆるむ。今日の疲れがやわらいでいく。深夜帯のあほCMこそ、心にしみ込むインドメタシンである。CM大賞とか権威あるとこからは絶対支持されなそうだが、深夜のつかれた人間を癒す、絶妙のあほさ加減は評価に値する救いだと思う。ばかだねバンテリン。大好きだよ。


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知らないうちに「ゆるゆる新聞」創刊

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わが「ゆるゆる新聞」が創刊してはや7、8年。その間、様々な疑似サイトが出た。スタイリストの個人ブログ「ゆるゆるRIRA新聞」、アイドル・グラビア系のニュースネタサイト「芸能ゆるゆる新聞」そしてついに、「ゆるゆる新聞」と一字のちがいもない新聞が現れた。驚いた。

その「ゆるゆる新聞」は、山口の自然や文化を大切にしたいと考えている人や、手作り・手作業を大事にしている人など、「毎日がアースデー」という思いで生活している人たちが創刊、したらしい。

創刊の動機が美しいなあ。こっちの「ゆるゆる新聞」の由来は、編集長の元彼女が「ゆるゆる」だったから、なんて理由だから恥ずかしくなる。内容もちらりとみたが、悪意と下品と悪ふざけは皆無。つまり真逆の内容である。

手作りの発行新聞でしかも「ゆるゆる新聞 公式サイト」から、PDFダウンロードも可能。

http://www.geocities.jp/yuruyuru_yamaguchi2010/

まったく同名とは、なめられたものである。
10年選手が、ぽっと出の新人に負けてられるか、という山本昌のような気分で元祖ゆるゆる新聞は、がんばっていきたい。

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2010年9月15日 (水)

あ、痛くなってる。宮沢りえのキティー

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キャバクラのベテランホステスが、ねこミミをつけて「キティーちゃん!」とおどける。一瞬の殺意の後、わいてくるのは「あのCMの解釈としては妥当だな」という感想。まあ、その程度の反響がふさわしい。

グリコ「アーモンドプレミオ」新CMには、女優宮沢りえが25年後の実写「ハローキティ」となって出演。あらさがしすれば、山ほど出てきそうな、いろんな意味でキメの粗いCMである。肌もね。

「こんなCMやりますよ」という企画だけでニュースになる。それは「あのタレントを使いますよ」というCM発表会よりはマシだ。大人グリコの面白さの根は、そんな企画の話題性。飲み屋妄想レベルの与太話を、ファンをうならせるほど本気でプロが実現しちゃうところだった。
今回も、

キティーちゃんが、猫キャラ最高峰の舞台「CATS」に出演!

ってところまでは話題として楽しい。
ただ、つくりこみが雑。前回のクオリティーの億分の一。キティーちゃん熱烈ファンにとってみれば、コーラン焼却クラスの信者侮辱だ。名作シリーズCMが、あまりにも見事に失敗して終了した瞬間。珍しいコケ方をしたので、ぜひブログに書いておこうと思った。宮沢りえのキティーちゃん。お前はすでに死んでいる。

一番にが虫をかみつぶした顔をしているのは、りえママだろう。私さえしっかりしていれば……と忸怩たる思いでチャンネルを変えてソファに体を沈めてるはず。貴ノ花親方は、歳月の流れを感じながら、酒をちびりとやっていると思う。


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2010年9月14日 (火)

補助金終了で清史郎くん解放か。

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民主党が補正予算を凍結すると、エコカー減税と補助金が終わる。プリウスの納車が間に合わないと、補助金がもらえない。そんなことはどうでもいい。「こども店長」は、もう見たくない。イライラ半分、あわれみ半分。トヨタは年内で、あの子を解放してくれるのだろうか。もう解放のタイミングは、そこしかない。

間近に控えた変声期、親の期待という名の重圧、学校で「店長ォ」とからかわれる日々、増えつづける「おとな無職」の嫉妬、トヨタの利益の中心部にいるドロドロ、こうしてネット上に永久に名前が残るリスク。いくらCMでちやほやされてお金もらっても、大人になったら割に合わないんじゃないかな。だって、認められているのは「かわいさ」だけだから。

加藤清史郎くんには、大人顔負けの部分がない。美空ひばりのような歌唱力も、安達祐実のような演技力も、えなりかずきのような寵愛と安定雇用の保証もない。才能とは、自分の道を歩きやすくする人生の舗装。「こども」というのは、失われていくだけの儚い才能である。だからこそ人は、つかの間の「かわいさ」を無条件で愛でるんである。CMがつまんないせい(微笑ましさを求めたせい)で「かわいさ」だけが際立っちゃったのも残酷だった。

人格を形成する多感な時期を、これだけ長くCMに拘束されたら、人はどうなるのか。大げさだが、そんな不安を、世の親は感じてると思う。家族で一番の稼ぎ頭がこどもって、そんな家庭はどうなのよ、とうらやみ半分で思う人もいるだろう。

でも、個人的に一番の不安は、トヨタがこども店長をひきつぐこと。民主が新しい(似たような)補助金策を出したとき、2代目こども店長的なことをやりそうな予感。それだけは提案されても断るべき。国民的人気といっても、ハルウララみたいな実力以外の創作もの。評判のデータとか人気の指数とかじゃなくて、肌感覚でわかるだろ。もう、痛々しいよ。

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2010年9月13日 (月)

ビールCM雑感

「キリン 本格〈辛口麦〉」

良くも悪くも目立ってるから、取り上げて置こう。

舘ひろしがドラムをたたいて調子こいているCMである。改めて書くまでもないが説明してみると、石原裕次郎の曲「嵐を呼ぶ男」をパクって堂々と登場するから、まあ、団塊の世代ねらい。で、館ひろし+浅野温子の「あぶ刑事」コンビを出演させて、30代から40代を囲い込む。最後は、20代の素人の若造に「あのおっさん本格的だぜ」と言わせているからして、若者は無視。キャスティングで大体の「ねらい」は見えてくるわけだが、見えすぎて気持ち悪い。あいつら馬鹿だから、こんなので大喜びするだろうな、という安易なマーケティング記号としての芸能人CMには辟易する。

「いつかはこの味にたどり着くと思っていた」「本格 辛口」

とか、渋くキメてるが、そうは問屋が卸さねえな。館ひろしの正体は、コミカルなおっさんである。今年いっぱい持てば良しだ。

なんとなくのターゲットイメージだが。

「のどごし生」山口智充と香椎由宇 → オールターゲット
「コクの時間」内田恭子      → 30〜40代以上 男性向け  
「淡麗グリーンラベル」嵐     → 20代以上 女性向け
「ストロングセブン」伊藤英明   → 20代以上 男性向け

で、今回は、すき間をねらってこうなった。

「キリン 本格〈辛口麦〉」館ひろし → おっさん向け

あんまし踊らされるのもシャクだが、戦略としてキリンは上手だと思う。新ジャンルの売上げ勝負を、商品を増やすことで、ターゲット別の戦いに持ち込んだ。でもそいつがはっきりすると反対に、どのCMもタレントがマーケティング記号だからつまらない。自分と同じ年代の芸能人が出てるだけで、飲んでみよ!なんて思うほど単純バカじゃない。汗とびちってたり、ある程度のシズルがんばりは認めるが。

ビール関連のCMは「サッポロ」の大人エレベーターのひとり勝ち状態だと思う。「話題になるCM」の話題の意味が、誰を起用したかだけで終わってない。ビールのCMはやはり、ここちよく酔わせてほしい。それとも、ビールじゃねえよ、発泡酒だからこの程度でいいんだよって感じなのかな。

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鳩山の名言

「ぼくはいったい、何だったんでしょうね。」

名言である。前世でも占ってもらっているかのような言い回し。「何だったか」が特にいい。「ボクがしたことは無駄だった」と素直に謝れず、かといって「ボクがしたことが、無駄になったじゃないか」と逆ギレすることもできない切なさが香る。ボクがした「問題行動」を取り上げるわけでもなく、もっと根元的な「存在意義」まで深く問いかけているところは凄い。誰を問いつめることもなく、答えを求めるわけでもない、無重力に浮いた質問。自分とは何だったのか。自分の経歴や人生すらも今一度ニュートラルで見つめ直す視点。アーティストである。もっと評価されていい。
 ある中堅議員とやらが「宇宙語しか話せない伝書バトはダメだ」とか言ってるが、インパクトにおいてそのセンスは負けている。「あの戦争は何だったのか」「小泉改革とは何だったのか」というタイトル然とした言葉と比べても「ボクはいったい、何だったのか」は秀逸である。みんなが思っていたその感想を、自分で言えてしまうセンスが新しい。自己弁護でも自己批判でも自己否定ともちょっと違う自己迷路。もっと評価されていい。人間の存在の根幹を問いかけているわけだから。
 死の直前にもう一度吐いてほしいセリフ。そして、いっそ鳩山由紀夫之墓に刻んでほしい。
「ぼくは一体、何だったんでしょうね。 鳩山由紀夫」。一度死んだ男の言葉である。

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