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2010年4月23日 (金)

春ですね

春がそこまで来ています。
べちゃべちゃの雪がとけ去った
すっきりとした道路が
まるですっきりとしたこれからを
あらわしている、とかいう表現をする人がいます。
春は胸ひらくような希望に満ちあふれている
とかいう表現を好む人がいます。
でも実際はさ、歩道に雪で隠れていた
吸い殻や空き缶、ぼろぼろのビニール袋、
黒くかたくなった犬のクソが顔を出したりして、
「大地うるおす雪解けの春」なんて言葉は、
うすっぺらなもんだなと、思ったりしています。
うつむきながら歩いているから、
そんなことしか見えていないのかもしれません。
忙しさでまぎれていたものが、
ヒマになったとたんに、目にはいってくる春です。
つもりつもった洗濯物。買ったままの服。
読んでいない本。返していないメール。
消えていかない蟠りだけが積もっていくと、
自然に消えてゆくものが、美しく思えます。
だから時々、虫明亜呂無の意見に賛成したくなる。
「ほんとうに美しいものはすぐ消えてゆくのよ……
 その人の言ったことを僕は今でも忘れない。
 すぐ消えてゆくものだけを求める僕の人生が、
 その頃からはじまった。」
心では、すぐ消えてゆくものだけを求めながら。
すぐ消えてなくならないものだけを、
一コ一コ、かたずけてゆく俺の春が始まりました。
明日、風呂場を洗います。

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2010年4月 9日 (金)

芸を売らずに、コビを売るひと。

「大きな会社で働いている人って、
 上司にコビを売るだけで生き残れるんだよな」

と、大手興業の芸人さんを見ていると思う。

芸人さんをサラリーマンに例えると、営業系・技術系というのがあるなと思う。技術系の人も、売り込む営業の人がいないと成り立たないから、どちらを褒めるわけでもないんだけどさ。

仕事のしすぎなのかも知れないが、漫才師の人を見ていると、営業系と技術系がタッグを組んで、仕事を取りに行っているように見える。でも、トーク番組とやらになると、営業とか技術という任をとかれて、なんか別種の力を試されている。うまく立ちまわる力とか、出しゃばりすぎず上司をもちあげる世渡りテクとかさ。つまり社内評価だけ高い社員がもってる、あの下僕力が際立つ。

それはまるでテレビがひとつの会社の職場を映しているような現象。この「テレビの中が、吉本社内になっている感じ」が、どうもムカムカ胸ヤケする。「この前、一緒に飲みにいった時に……」とかね。トーク番組というやつは、どうやら客前という意識が薄くなるらしい。テレビの前の視聴者こそが客だろうがよ、という気分。

あーあ。会社から帰ってきてテレビをつけてからも、こざかしさだけで出世してゆくニンゲンを見なきゃならんのか。「兄さん!兄さん!」「おい、先輩やぞ!」「大先輩だけど言わせてもらいますがね」と、上司にこびて部下をからかう上下関係の話題は、ホントいいかげん自分の会社に帰ってからにしてくれないか。テレビはあなたの職場だけど、あなたの社内ではないんだよみやさこ。

テレビが吉本の社内関係の発表の場になっている。芸人という仕事が、上司にコビを売るだけで生き残れるんだ、と思いたくはないのだが。

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2010年4月 8日 (木)

木村拓也の訃報について

昨年から続いてきた有名人の死の連鎖が球界にも飛び火したような印象を受ける。日ハムの小林繁、オリックスの小瀬浩之、そして巨人の木村拓也‥‥「早すぎる死」という共通項が「どうして今?」という気持ちを際立たせる。「遅すぎる死」なんて言わないんだが。

木村拓也の訃報は、当日、ふたつのニュースに分かれた。

ひとつは、多くの人々に愛された野球選手が亡くなったというニュース。広島球場の近くでインタビューがなされ、ファンが早すぎる死を惜しんでいた。関係者が残された人たちが惜別のコメントを寄せた。巨人ナインはグラウンドへ出ると、現役時代に守っていた二塁ベース付近に集まり、円陣を組んで黙とうした。

もうひとつは、昨日まで元気だった人が突然、くも膜下出血で死亡したというニュース。何が原因で起こるのか。どうやったら防げるのか。大きな病院の医者が、脳の断面イラストを指差し説明する。脳卒中は小さな前触れを見逃さないように。死因となった病気の特集がはじまる。

ニュース番組の最中、訃報はいつの間にか健康情報にさし変わる。たしかにニュースは、これからも生きていく人のためのものだけど、訃報は残された人のためにあるべきだと思う。クモ膜下の情報、今さらいるんだろうか。どうしても。

今回の件で一番心に残ったのは、元・巨人のコーチで現・横浜の監督を勤める尾花の言葉だった。

「悲しいの一言。
 日ごろから自己犠牲をいとわない選手。
 昨年はマスクをかぶってくれて、
 0点に抑えてベンチに帰ってきた時の
 得意げで子どもみたいなあの顔が忘れられない。」

プロの野球が、こんなにやさしい目線で語られることは少ない。

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2010年4月 6日 (火)

報ステ古館のニュースの筋質

今さらではあるが、古館伊知郎のイヤな感じはどこからくるのだろう。

頭悪くなさそうだから、そろそろ自覚してもいい頃なのにな。と思うのは買いかぶりすぎか。批判的口調とか、偽善者ぶるとか、朝日的反体制気質が肌に合わないとか、思想が偏っているとか、いろいろ多方面から攻められそうだが、ここでは、なんとなく画面に滲み出る「イヤな感じ」というぼんやりとしたものを追求したい。

この人は、つらい人が出ている時はつらい顔をする。うれしいニュースを報告する時は、うれしい顔をする。当たり前なんだけど、強調の度合いが過剰なんだ。悲しい時の眉のしかめ方、体の前でじっと手を組みカメラを見つめる目線、話を聞くときの身体のうつむかせ方、声のトーンの急な落とし方などなど、あらゆる技術を駆使してフルパワーで「つらい」「うれしい」「悲しい」を表現する。つまり、報道が感情なんだ。

そこまでニュースって全力の感情はいらないんだよな、と古館を見てると痛感する。一回、マックスの「つらいんだな」という顔を出しちゃうと、それ以上のものがきたときに、前の「つらいんだな」顔を超えることができない。毎回同じになってしまう。感情の温度差を計ろうとしても、温度計はいつも振り切れている松岡修三状態。

先ほど、カーリングの町「常呂町」を紹介していたが、カーリングコーチに就任した漁師のとったホタテの輝きを力いっぱいほめていた。「ホタテが輝いていましたね」と。その全力ぶりたるや、である。一生懸命が圧倒的な善であることを信じて疑わない、あの感じ。くだけた話題も、全力でくだけきってみせる、あの技術。すべてにワザが見えてしまう、そしてそれに自信をもっている感じが古館のイヤな臭いの臭線だと思う。

誰か心のネクタイゆるめてやれよ、と思うが、あれだけがんばってる古館には何も言えないんだろうな。長年必死で鍛えてきたプロ中のプロに、今まで必死で鍛えてきたその筋肉はいらないよ、とはいえないから。今日も古館は全力である。力を抜く時も全力で力を抜くだろう。つらい生き方が見えてきて、こっちまでつらくなる。

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2010年4月 4日 (日)

新番組S☆1で魔裟斗はKO寸前

なんだ新番組の今日のゲストは魔裟斗か……と思っていたらMCなのかい。厳しいなぁ。格闘技あがりでしきりをまかせられるやつなんていなかっただろう。誰を前例にしての起用か。今のところ違和感と不安感だけが番組に漂っている。

野村監督とか小宮山とか完全に見下してるしね。マラソンのキューちゃんのやさしさですら魔裟斗には悲しいはずだ。しかもワイプで抜かれるとき、ひきつった笑顔をしているところをみると、魔裟斗は野球とか興味なさそうだし。終わった後、ラモスになぐさめられていそうだ。

F1層とか女性ターゲットねらいのマーケティング的起用が魔裟斗を苦しめている要因だろう。ジャニーズ離れの試金石か。それともピンチの魔裟斗を応援する女性票を狙っているのか。じゃあ、まず東尾理子を外すべきだろう。実際キューちゃんも厳しいと思うが。

魔裟斗を無視してしゃべっている残酷な時間は、場違いな仕切りをまかされた新人社員のそれである。アナも番組進行で必死で、魔裟斗のことまで世話を焼けない状況。さあ、果たして魔裟斗は何ラウンドまで持つのか。今日は何分しゃべることができるのか。出演者も本人も、外してくれよ、と願っているはずだ。そんな微妙な空気が感じられて視聴者もつらい。誰がのぞんでいるのかわからない事故現場である。人には向き不向きってあるんだよ。

ストイックな魔裟斗と、世渡り上手の国文太一の明暗がはっきりわかれた結果となった。テレビといえども一般社会なんだな、と実感する不幸である。

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2010年4月 3日 (土)

伊達公子のバンテリンCM

歴代のバンテリンCMと比べてもピカイチの出来だ。クルム伊達公子出演バンテリンコーワ 新ミニパッドである。伊達公子のパワフルなサーブやレシーブが、ビューンと飛んでいくと湿布薬に変わって、おばさんやおっさんの肩や腰にビターン!こんな風に企画を説明するだけで、あほさ加減がよくわかるCMは今どき希有である。また、あほCMに出ていることを感じていない、伊達公子のさわやかな笑顔がいいんだ。脇を固める素人衆も、最高の演技で伊達公子をもり立てている。

単に金をかけた上品でうまいことやったCMだけが心を打つのではない。汚い水を好む魚がいるように、あほっぽさ泥臭さを好む人もいる。深夜枠ということを理解しきったバンテリンの方向性は間違っていない。このまま安っぽい進化を続けてほしいものである。深夜の疲れきった心にしみこむのは、こういうCMだと信じている。

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2010年4月 2日 (金)

さよならPC

朝、PCが死んでいた。

手は尽くせるだけ尽くしたが、電源すら入らない。取り出したHDは冷たくなり、そのまま棺桶になった。仕事も、映画も、音楽も、秘密のエロも、大切なメールも、葬られた。黒い画面に呆然とした俺が映り込む。

予兆は感じていた。思い当たるふしもある。だから後悔している。最後の一週間を振り返ると、ひん死の病気の老人を働かせつづけたような罪悪感がある。せめてエロ関連の作業で壊れたわけではないことを祈る。

北海道では雪がとけはじめ、モノトーンの世界に色がつきはじめた。しょせん機械ではあるが、記憶が残っているものが死んだ喪失感は、他の家電とは種類が違う。いま、あたらしいPCで原稿を書きながら、考える。あいつは、人間で言うと何歳だったんだろう。

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