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2009年9月25日 (金)

そろそろ「こども店長」に引導を。

敬老の日に民放でアカデミー映画「おくりびと」を流していた忌みを考えていた。老いから死への助走に入った人たちはどういう気持ちで観ていたんだろう。また、その人たちに、テレビはどういう感想や表情を期待していたんだろう。敬老の日に、なんど葬式の家庭を観せられたか知れない。そのさまざまな葬の景色が、観ている老人たちの過去の思い出と重なり、近い未来の世界と重なることを想うと、笑えない冗談になったりする。親の葬式に笑いをこらえていた蛭子さんレベルにしかわからないジョークだ。

その「老」との激しいコントラストで「若」がぴかぴか輝いたCMも流れていた。こども店長である。こどもだから、というだけで大目に見てきたが、いよいよ鼻についてきた。うぜえ、と書くだけで悪者になったような気分にさせられるのが、なによりも鼻につく。批判のスキひとつない絶対正義。「こども」という記号だけで存在する、中身がすっからかんのカワイイCMを観せつけられると、批判する自由も気力も奪いにくる狡猾さに反発したくなる。「あのCMはきたねえよ」くらい言わないと、未来はないし、世の中つまらん。

ほんとにさいきん
「かわいいね」というCMが目にあまる。

ソフトバンクの犬については、もうソフトバンクも展開に限界が見えててきて、人気があるから引き際を見失ってる感じがしてて、なんか同情はしている。

当初のデキは良かった。獣姦をにおわせる影のある設定でありながらもアットホーム。ハラを抱えて笑うことはないが適度な毒があり、おもしろすぎない絶妙のほほえましさが憎たらしいくらいうまかった。この簡単なように見える高度なバランス感覚を知らずに、「かわいい」というパッと見だけをまねして無惨に失敗しているCMが相次いでいる。

多すぎるので、とくにイラつくものだけあげとこう。

●エネオス
つまらなすぎるコントをゴリラにさせて質の低さをカモフラージュし、お笑いに影響されたバカ女のように自信たっぷりで突っこむOLがでてくるやつ。

●キューブ
うすら笑いのシニカルなイメージで視聴者にこび過ぎないキャラづくりをねらったが、結局は神経を逆ナデするだけになってしまったことに気づかない、シカがでてくるやつ。

●アフラック
「アヒルのかわいい」+「ネコのかわいい」=かわいい2倍、という式を信じきっている、思考停止のあきれた間抜けぶりがにじみでてるやつ。

●トヨタ シエンタ
「けんたきゅんきゅん、ママにきゅん」という人間のIQを下げる呪文で、味方よりも敵を増やし、親バカさん以外の人をムカつかせるために作っているとしか思えない、幼稚さが画面からあふれでてるやつ。

ほんとにさいきん
「むかつくね」というCMが目にあまる。

「かわいい」と「愛される」は違う。その違いは「弱さ」である。弱さがあるものは、かわいいをこえて、愛されるところまでいく。ゴリラにも、シカにも、アヒルにも、ネコにも、ガキにも、かわいい以上の感想をもつことはできない。かわいいの押し付けは、ナルシズムの共有を迫られているだけだから。影を描かなきゃ、光はみえない。ソフトバンクの犬には影がある。そこには、同情や共感や親近感をまぎれこませる余白が大きく残されている。あの犬が「愛されるCM」になったのはそこが理由だと思う。正直、もう飽きたけどね。

TEXT by 副編

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