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2008年4月29日 (火)

5月病の君へ。

Gogatsu_2

どうして4月のうちから5月病なんかにかかんだね。せっかくだが愚痴を聞いて、なぐさめるつもりはない。どうせよくあるサラリーマンの悩みなんだろ。それより5月の話をしよう。5月は快適な月だ。とくに北海道の5月は格別だ。春は、夏の暑さや冬の寒さにくらべると、大きな感動がないと思うだろう。だが、暑すぎない昼、寒すぎない夜、窓の開け閉めで調節できる室温、トレーナー一枚で出かけられる気温。とりまく背景が派手ではないぶん、君は小さな変化に気づくことができる。実際、5月に入ると、会社に向かう途中で、保育園の子どもたちの歓声を聞く。水遊びのスタートだ。公園で仕事をサボっていると、花の香りが陽気とともに立ちのぼってくる。君は花の香りがベンチまで届くものだと知る。顔をあげて辺りを見渡せば、同じような会社員たちが花を見ていることに気づく。スーツ人たちの灰色の輪の中心に、色鮮やかな原色の楽園がある。その光景は喜劇的なほどにやさしい。食欲がない昼は、老舗のそば屋に寄るといい。たぶん新茶が出てくる。冬に栄養をたくわえて、最初に出ててくる新芽のみずみずしい力。新茶はこれからの味がする。酒を飲むなら、居酒屋で初ガツオをたのみたい。鰹の刺身は、脂ののりも控えめで、あっさりとしている。ホヤやタケノコもいいだろう。そう、5月には日本酒がよくあう。酒のせいでまた深く悩みこんでしまうぐらいなら、競馬で悩むといいだろう。天皇賞(春)、皐月賞、日本ダービー‥‥馬たちが季節ごとの物語を運んでくる。草花ばかりが季語ではない。窓を開ける。道を歩く。耳をすませる。顔をあげる。のれんをくぐる。箸をのばす。すぐそこに5月がある。休めない金メッキのゴールデンウィークがなんだっていうんだ。5月というだけで贅沢だ。ただそこに5月があるだけでいい。どこか遠くへ行きたいと思うし、どこへも行かなくてもいいとも思える。5月は静かに近づいている。窓を開けると、涼やかな風がすっと吹きこみ、カレンダーの4月のページがふわりと持ち上がる。そわそわ落ち着かないカーテン。空の青が濃くなったような気がする。最高ではないが絶妙である。4月のうちから5月病になるなんてつまらない。会社のトイレから、わざわざメールを送ってくる君をはげます気はさらさらない。それより5月の話をしよう。5月は快適な月だ。5月はなんとなくすばらしい。こどもたちは水遊びをしている。会社員たちは花に目を止める。新茶はこれからの香りがする。大きな感動がないぶん、君は小さな変化に気づくことができる。

text by 副編


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2008年4月 8日 (火)

恋愛ソングの頂点に君臨する「ジャガー」

Jaga

当たり前だが、カラオケというものは、毎週行くものではない。あの人の歌う歌が分かってくる。この人は歌えないのにこの歌に挑戦する。きっとあいつと曲がかぶっている。あ、先に歌われた。などなど同メンバーで行くと毎回戦局がめまぐるしく変わる。そのうち、この歌手はあの人の担当、この歌はあの人と持ち歌と、ふりわけまで出来てくる。だが、持ち歌をもっている自分は何者だろう、と自問することはない。カラオケにはお互いの自意識を開放し、受け入れあうための場でもあるわけだ。

さて、毎度の仕事の付き合い的カラオケ残業で得るものもある。鈴木聖美+RATS & STARの「ロンリーチャップリン」が歌えるようになったこと。堀内たかおを聞いてはぐれ刑事純情派の歌を知ったこと。長渕を歌う人はみんなマネが入るということを確認したこと。そして、このヒデキの「ジャガー」を知ったこと。

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「ジャガー」

作詩:阿久悠 作曲:三木たかし

♪愛に命懸けた奴は誰だー
(女コーラス:♪ジャガ〜)・・・・

 (セリフ)

 君が死んだら 俺は死ぬ
 でも 俺が死んでも君は死ぬな!
 君ひとりでも愛は生きる
 俺ひとりでは愛は死ぬ…
 しゃべるな!何も言うな!!
 目を見ろ 何が見えたか?
 炎が見えたか!? 
 君を愛する炎が見えたか!!
 さあ来い 飛んで来い
 抱いてやる!抱いてやるー!!!」

 君を愛した 君を愛した
 命あずけた AhhhhhhhooooOOW!!

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上記は、ギターソロに乗って入るセリフ部分。女性の曲をカバーしてヒット飛ばして悦に入っている輩に教えたい。
徳永、男なら男を歌え!と。


 >君が死んだら 俺は死ぬ
 >でも 俺が死んでも君は死ぬな!
 >君ひとりでも愛は生きる
 >俺ひとりでは愛は死ぬ…


この状況は一体なんだ。墜落する飛行機でパラシュートがひとつしかない状態か。男は女に生きてほしいと願う。俺が死んでも後追いはするな、と願う。脳裏に北斗の拳のレイが浮かぶ。女は死兆星が見えたマミヤだ。


>しゃべるな!何も言うな!!
>目を見ろ 何が見えたか?


目を見ろ、と言われて見えるのは、ふつうは目である。もしくは、目に写っている自分の姿である。だが、ジャガーは違う。


>炎が見えたか!? 
>君を愛する炎が見えたか!!


何も言うな、と言っておいての質問だ。そんなの当たらねえよ、と、グチをこぼすことさえ許されない。見えてても見えてなくても関係ねえ。愛している。愛している。愛している。と千の言葉を重ねてもいい尽くせない激情の表現。意味の破たんが感情のほとばしりなのだ。


>さあ来い 飛んで来い
>抱いてやる!抱いてやるー!!!」


もはや言葉すらもどかしくなったから、肉体で語る。その流れは展開として自然である。ここまできてまったく大した歌詞だと感心する。ここまでの構成は、言葉の意味の消失をはかり、理性の世界へ突入し、肉体の世界へいざなうためのステップだったのだ。


>君を愛した 君を愛した
>命あずけた AhhhhhhhooooOOW!!」


もはや何を言おうか。バカ歌詞を笑うつもりで書いていたが、理性の壊し方が見事である。自分が歌わないからって、阿久悠は勝手なこと書いてやがるとも思うが、歌わせてみたい歌詞ではある。時代と照らし合わせたヒデキ観のさらに上を行くものを書きたかったのだろう。

いったい二人はどんな状況にあるのか。いったい何が起きたのか。想像の映像すら浮かばない。圧倒的なイメージの嵐が去った後、残されたのは「愛」という真理の結晶である。狂うことによって、常識を破壊しつくすことで純粋な愛の抽出に成功している。

もう題名はジャガーでも何でもいいのである。とにかく人間は愛に燃えたらAhhhhhhhooooOOW!!なんである。愛は野獣である。体の言語である。レトリックを極めつくした阿久悠が、レトリックを捨て去ることで表現したかった芸術がここにある。確信犯の「わけわからん」だ。

Jetjagger

なんかもう、どうでもよくなってしまったよ。

text by 副編

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ミス・ユニバース日本代表の件

Mima

チェンジで。


text by 副編

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2008年4月 7日 (月)

クイズ番組はバカ発見装置

人気というやつはいつも知らないところで作られる。人気というやつはいつでも自分から発信するものではないからしかたがないが、近頃は目を離しているスキに虚構な人気が演出されている気がしてならない。

Kimu_2

3/4に発売されたばかりなのにサントリーの「ゼロナマ」の支持されてる感、アサヒビールの「クリアアサヒ」はあきらかにすべっているからいいとしても、キム兄のCM連発、西川史子の出演乱発などなど、露出が多ければ人気があることになっていることが多い。

朝、すこしだけ二度寝したつもりで時計をみると、もの凄く時間が進んでいることがあるが、あの感じに似ている。いつの間に‥‥うそだろ‥‥、とテレビを観ても思う。サトエリとやらのCM人気もどうしてこう落ちないものか。切る理由は腐るほどあるだろうに。もうひとつ。ツバキのCMは出演グレードが落ちてるのに勢いで乗り切れると思うなよ。

で、最近とみにそう思うのが、クイズ番組。クイズ番組が氾濫しているからといって必ずしも日本人クイズ大好き、というわけではないと思う。確かに簡単に作れて経費もかからず、出演者そろえりゃ一丁あがり。という作り手側のインスタント感はあるんだろうけど、ここまで乱発されるとそれ以外の理由を探したくなる。

ちょっと前の時代なら、クイズ番組は家族だんらんの場で、みんなでクイズを答えることがコミュニケーションを深める、とされていた。が、理由としては賞味期限が切れている。後の理由として頭に残るのは、紳介のせい、である。

Sinsuke

レディーゴーとかアンサーチェックとかやたら英語をつかう紳介のクイズ運動会をはじめ、クイズ!紳介くんやヘキサゴン、行列のできる法律問題番組などなど、まぁクイズといえば紳介な時代だが、クイズがおもしろいのではなく紳介の力が発揮しやすいシステムが理由だと考えると話が早い。紳介の仕事とは、人間の弱いところを見つける、である。クイズ番組とは正解者を見つけるのではなく、不正解者を見つけるのが目的である。そこが強く結びついている。紳介が売り出したのはバカ発見装置として特化し、クイズを形骸化させたクイズ番組である。

古き良きクイズ番組とかはクイズの正解や、クイズのアイデアそのものにスポットがあたっていた。だが、今はその間違え方やその間違える人を探すことに比重が置かれちゃってる。今、はらたいらには脚光はあたらない。今さら言うことでもないが、ヤな時代だ。そう思わせないために、紳介はそのフォローとしてちょっといい話をするから、バランスがとれる。とれてるつもりだろう。

昨日はじまった「クイズジャパン」ってのもそういういい話を抱き合わせで売る番組だが、紳介のシステムより数段下だった。別番組が入ってるだけに見えた。クイズをやる意味を完全に消しちゃった。紳介の変わり身のうまさがいかに絶妙か、思い知った気がした。

結果、番組から感じたのは、ジャパンとつけた大仰な名前から感じる、これがクイズ番組の新定番!って演出だけ。これも勝手に人気があることにしようとするタクラミがありありと見える。だが反面、ピークは飽きの始まりであるからして、もう限界は見えた、と観られて逆効果。早々に消えるだろう。おつかれさまでした。

Tsuruhei

個人的には司会が鶴瓶というだけで終わってる。こんだけ長年やってて師匠感が薄い。しかも老いてて判断も鈍い。番組的にオールターゲット狙いすぎ。

text by 副編

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2008年4月 3日 (木)

追悼!思い出の発泡酒たち

Tanrei

ガソリン税がどうだこうだ言ってるが、忘れちゃいけない発泡酒の酒税。35.5%が税金って高すぎだろ。三本飲めば、なんと一本が税金に!って、何だよそのキャッシュバックキャンペーンみたいな税額は。

ビールと呼んでもらえず、安さが自慢だったのに第三のビールに奪われて、今はまるで中間色のようなポジション。さらに売っても売ってもロクな売り上げにならない税制。出口のない不毛な戦いの果てにビール職人たち、いや発泡酒職人たちは何を思うのか。今夜、思い出の発泡酒たちを回想していきたい。

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●サントリー・ホップス

初めて飲んだ発泡酒はホップス。安いけど、まずかったなぁ。本当にまずかった。こんなもんビールじゃない!と思ったよ。スーパーホップスになってからスマップ中居がCMやってたけど、すべり放題。そういえば、ホップスきらいだったんだ。でも消え去った今、発泡酒のマズいイメージといっしょに心中してくれた感じがして、感謝してます。

Hops

●麒麟淡麗〈生〉

発泡酒界のスーパードライ=王道は淡麗である。やっぱり直球CMをやったもん勝ちってことだろう。缶に汗をかかせて、熱い日にぐびっとやってシズル全開&商品ズドーン!キリンはスーパードライになりたかったんだろうな。憧れと嫉妬が入り乱れた感じが、あらわれてていい。このままスーパードライでいってくれ。現存する最古の発泡酒よ。

●サッポロ ブロイ

全然、爽快感がない点が好きだった。まったりとして香りがいい。「味わえる、味がある」とかいう、いいところで読点を打ったCMコピーも憶えている。だが、世間が発泡酒に求めるのはもっと大味なもんだった。発泡酒としての新方向に挑戦したその心意気は認める。この消滅は、今後の挑戦に生きてくるだろう、と消えてから何様的に思っていた。

●サントリー マグナムドライ

ドライ、という名前にすべてがある。やっぱりサントリーもスーパードライの直球の強さを認めていたのだなと思った。缶も銀色で「辛口<生>」と書いてあるところを見ると、あきらかに戦線布告。味はガブっとノドに食いついてくる感じで、強い刺激にノドを痛めた。あれをノドごしと呼ぶべきか迷った。しばらく飲んでないなと思ったら、生産中止になっていた。今思うと嵐のようなやつだった。後にスーパーがついて復活。サッポロが「きりっと 新・辛口<生>」で続くが、相変わらず後乗りが下手。

●サッポロ ファインラガー

ラガー、という名前にすべてがある。サッポロはキリンのラガーに憧れていたのか。発泡酒戦国時代に入って何でもアリにしたのはマグナムドライだが、やりすぎじゃねえの、と思った。当時の新聞広告がアホと呼ぶのもアホらしい軽さで好きだったが、広告だけ見て飲んだこともなかった。サッポロの商品は運動神経の悪い子どもをみているようでかわいくなってくる。短命商品に、黙祷。

●あの夏に消えた3つの発泡酒

Photo

ノドごしで淡麗の天下になった時代。夏のセミのような儚い浮き世の短命商品がぞくぞく登場。爽快感に対して、季節感の一本勝負に出たが、その戦いは泥沼の始まりだった。短い時期しか生き残れない商品は、登場こそ人気のピークである。

第1弾 サントリー「夏のイナズマ」
名前に笑った。腹筋に電流がはしるほど。イナズマはノドへの刺激感の比喩。バカっぽさにしびれたよ。

第2弾 キリン「キリン常夏<生>」
常夏。キリンは熟語にこだわるクセがある。あ、それがブランドって奴の一部か。王者として受けて立つ感じを醸すのがうまい。

第3弾 サッポロ「夏のキレ生 セブン」
サッポロの立ち位置はいつもテレ東みたいだ。新製品なのにいつも使い回し感がする。そして商品はいつも流れ星になる。

●サントリー「風呂あがり」

間のヌけた感じが、すばらしい。発泡酒のなかで一番素朴でのどかで大好きなネーミング。商品名「風呂あがり」だよ。市場争いに消耗してアホになってきた記念碑的商品名。だれも憶えちゃいないだろう。サントリー風呂あがり。いい響きだ。合唱。

●アサヒ「WiLL ビー・フリー」

WILLとは、マーケティングでっかちの時代のシンボルである。こだわりとか自分らしさをテーマに掲げることと、ひとつのブランドにくくることの矛盾が解消できずに自滅した戦略。国民総WILLって悪夢だ。アサヒ「WiLL ビー・フリー」も、WILLという泥舟にのった商品のひとつ。時代の徒花である。WILL BE FREE. それは無理があった。

●サントリー「ダイエット<生>」

味はいつも好きではないが、サントリーの商品名のセンスは好きだ。なんのひねりもなく純情。だがね、ダイエットもしたいし、でもガツって飲みたいし、と消費者はもやもや揺れているから、あいまいな名前の商品にかたむくのかも。ダイエット生より、淡麗グリーンラベルのように、カロリー少ないことをうまさの利点にした方が売れるわけだ。それに「ダイエット」は手にとる時に恥ずかしい。

いつもサントリーは極端で戦略はっきり見えすぎ。
ダイエットを意識したら、「ダイエット<生>」
冬の商品は、サントリー「冬道楽」
カラダにいい商品は、サントリー「楽膳<生>」
一点突破はすぐ消えると思うんだが。
で、今「ゼロナマ」だろ。やな予感するなぁ。

●サッポロ「ひきたて焙煎<生>」

こういうことをすると消えるんだよ、という教訓的存在。一番搾りは製造行程で何も搾ってないが一番搾り。だが、旨さ抽出的な感じがある。それくらべてサッポロ。「ひきたて」は抵抗がある。焙煎もビールから遠い。二番煎じを失敗するところが、サッポロらしくて好きだが。

後に、自然とか北海道という産地の素性が確かなところに行く。
その方向性は間違ってない。
「樽生仕立」→「海と大地の澄んだ生」→「北海道生搾り」
健闘が光る「凄味」もいいが、品質の時代だから、
もう路線変更はしなくていいのかも。

●キリン「白麒麟」

キリンはセンス的に発泡酒の王として揺るぎない黄金時代があった。サッポロが「のみごたえ」とかいう考えるのを放棄したかのような名前をつけてる間に「白麒麟」「極生」「生黒」「小麦」とつぎつぎとネーミングセンスで連勝。これらを定番化させる方向もアリだったのでは、と惜しまれる。今の発泡酒は一発屋の芸人みたいだから。

●アサヒ「本生」

俺の中ではもう死んでいる商品。スーパードライのようなトップの座が欲しいが、その位置に淡麗が座っててどいてくれない、といった姿が見える。同シリーズの「スタイルフリー」ががんばっているが、もう勝負づけはすんでいる感。大関どまりで横綱にはなれない。

アサヒはいま「クリア アサヒ」とか売り出してるが、ぬるすぎる芸能人交友録CMでどこまで行けるのか。ゆる〜い空気で友だちと遊んでいるダウンタウン浜田に商品価値はあるのか。先ゆき不安。

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発泡酒というジャンルには、心の傷がある。ビールへの劣等感がある。発泡酒をビールを呼ぶ家庭には切なさがある。体重を気にして飲む。財布を気にして飲む。世間体を気にして飲む。どうしても発泡酒は負の影がまとわりつく。

やがて第三のビール(新ジャンル)が手広くのびてきて、「庶民の味方」という発泡酒の立ち位置は揺らいだ。新しいイメージの再構築のために、数々の商品が流星のようにキラリと輝き消えていった。現在も「あれ飲んだ?」という話題性という瞬発力はあるが、売れ続ける持久力のない新商品が出る。春の夜の夢の如き商品は、ひとへに風の前の塵に同じ。

そうして、失敗を重ねて、もがき苦しみ生み出されてきた光明がいくつかある。ビールより個性を出せる「素材感」、ビールより気軽に飲める「カジュアル感」「カロリーオフ」「糖質オフ」。ビールより、という前提はぬぐえず、こしゃくといえばそれまでだが、数々の新商品のしかばねを超えて見つけた方向性の行方を楽しみにしている。

Photo_2

消えていった発泡酒に、この中途ハンバな商品の未来に、乾杯!

text by 副編

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