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2007年5月11日 (金)

つまんない日記についての日記2

Manabe

日記を書くという行為は暗いが、他人の日記を読むという行為は汚い、さらに他人に見せるための日記というやつは、もはや日記ではなく作品であったりするわけで、やっかいである。他人に見せることを意識すると、日記に意味なんて求めることが土台おかしい話なので、これまた意味がねじくれてくる。 他人に聞こえるようなひとりごとを言う行為なわけだから、気持ち悪い。

じゃあ、日記って何?

無理に日記を書き続けてきたひとは、この疑問にぶち当たると思う。無理に書く自分そのものが不思議なのだ。実は、その「なぜ私は書くのか」というテーマはチープなようで高尚な悩みだと思う。文豪みたいでたいへんだ。なぜ、私は書くことをやめられないのか。

なぜ、私は晩ゴハンの献立をアップしているのか?なぜ、私は毎日、犬のことを報告しているのか?なぜ、昨日みたテレビの話を友人じゃなくてブログに言うのか?なぜ、興味もないのにブログのネタを探して書いているのか?なぜ、私は毎日つらい思いをして書き続けるのか?

芸能人なら、芸能活動と答えるだろう。
自己満足と答えるのは、ありふれててつまんない。
もう少し詳しい答えを考えてみたい。

抽象的すぎるかも知れないが、WEB日記はボディービル的なもんだと想ったことがある。実際に使う筋肉というよりは、魅せ用の筋肉をつくっている感じがする。

有名人でもない自分が、平凡な日常を綴ることに何の意味もないことに気づいて、突然、映画やドラマなんかのレビューを書き始めるひとがいるが、それも何か魅せ用にこしらえたものに見える。

ボディービルダ−が「鍛えること」そのものにエクスタシーを感じるように、くだらない日記ブログを続ける人は「書くこと」そのものの中に喜びを感じている、ような気がする。その、見せたいと見たくないの送受がズレてる感じがとても似ている。社会に還元されない欲望を一生懸命ぶちまけてる様子は、自意識の公害。つまり、ピンで動く寺門ジモンみたいな状態だ。存在価値はゼロ円である。無料なだけにタチが悪い。

どうだろうか。
だめか、やっぱ抽象的すぎたか。
つづきは、また今度。

text by 副編


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