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2006年1月21日 (土)

2ちゃんねるに賠償命令、助教授への中傷放置

http://www.nikkei.co.jp/news/past/honbun.cfm?i=STXKF0499%2020012006&g=K1&d=20060120

彼のプロフィール。笑える。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%81%93%E5%87%BA%E4%BA%BA

>人権活動家、作家。
>外国人の入浴客を拒否していた小樽の銭湯および小樽市を相手取って起こした一連の人種差別訴訟で名を馳せる。
>2000年に日本国籍取得(国籍取得のそもそもの目的は日本の札幌近辺での住宅入手)。
>2002年にはアメリカの第2市議会が有道に対してこれ以上「日本社会のじゃま」をしないよう勧告したのだが、これに対し有道は当てつけのようにアメリカの市民権を放棄した。


拝啓 有道出人さん

あなたが北海道の三流大学で教鞭を振るっている英語の講義に私は出席していました。
止むを得ない理由で2週続けて欠席した私に、あなたは即刻戦力外通告を言い渡しました。
「ファッキン!」という素敵な単語と共に。
そのせいで私の大学生活は一年間の延長戦へと突入しました。
酒に溺れたのもこの頃です。淋菌に犯されたのもこの頃です。
しかしそんな出来事も、今となっては良い経験だったのかもしれません。

私はあなたの正義感たっぷりの性格が大好きです。
2ch相手に裁判を起こしてしまうくだらなさも大好きです。
だからこそ地方の三流大学の一助教授でありながら、複数の著書を発表でき、大新聞のオピニオン欄に、曲がった正論を発表できたのでしょう。
あなたのような素敵な人間を持ち上げるなんて、日本人も捨てたもんじゃありませんね。

text by 編集長

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2006年1月10日 (火)

ネモト誘拐犯と「アンジェリク」

誘拐犯の根本容疑者の妻「ネモト・カルメン・シータ・プレハデス」という名前を聞いて、

「え、カルメンシータ?」

と、一人びっくりした。

映画『カルメンという名の女』も想起したが、その前に、宝塚的歴史小説「アンジェリク」の「カルメンシータ」のほうが名前もいっしょでまず驚いた。

「アンジェリク」は、17世紀を舞台にフランスの貧乏貴族の娘に生まれたアンジェリクが、数奇な運命に翻弄されながら強く美しく生きる半生を描いた小説。時代は、太陽王ルイ14世の頃。設定の基本は、乙女キラキラ、愛憎ドロドロで、ハーレクイン汁出まくりである。

で、その「アンジェリク」に登場するほうの「カルメンシータ」は、ネモト・カルメン・シータ・プレハデス(長ぇー)容疑者と似ても似つかぬ月とすっぽん。彼女の以下の発言をみれば分かる通り。

「海よ 太陽よ 恋人よ また逢いましょう 恋の中の恋よ」

「あなたを知るまではわたしは冷たかった。あなたはわたしの胸に、あなたに夢中になるような火をつけたのよ」

情熱の国スペインの姫君カルメンシータ嬢は、美しく誇り高い女性だ。ただ、ネモト・カルメン・シータ・プレハデス容疑者の誘拐事件と妙にイメージが重なってしまったのが以下の台詞。

「オレンジの香る私の城で愛する人と可愛い子供と暮らしたい」

想像するだけで気持ち悪い。城って感じの豪邸がどうも頭の中でリンクしてしまって‥。

さらに、同じく容疑者である夫がPTA会長と言うのは微妙にリアルで具合が悪くなってくる。子どもが誘拐された病院が「スペルマン病院」ってのも名前がヒワイで嫌。数奇な運命に翻弄されたのは事実だけど、悪いほうのカルメンシータが、私の中の「アンジェリク」に消えないシミを落としてしまった。もう普通に読めないね、あの小説。以上、妄想でした。

蛇足だが、「カルメンシータ」という名の「エスプレッソメーカー」があるらしい。誘拐犯と同じ名を持つエスプレッソメーカーってきついなあ。一般人に実害があるとしたらココ。カルメンシータで飲むエスプレッソ、なんて複雑な味わい。

text by 副編

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2006年1月 2日 (月)

福澤と正月とナインティナイン

 福澤朗をテレビで見るたび悲しくなるのはなぜだろう。新生3のCMを見るたびせつなくなる。野球中継でヒットを打ったランナーが二塁をとばして一塁から三塁へ滑り込み、福澤が「いきなり三塁だ!」とアナウンスする、あのいきおいだけのCM。空元気に見えるのは気のせいか。若いままの役回りでやっていけるもんじゃない、という言葉をひしひしと感じる。帰省するたび、故郷の友だちがつまらなくなっていくのを実感するが、それと似ている。「エンタの神様」での大人目線の苦笑もそうだ。それが大人になったということなんだろうか。

 沈痛なおももちでニュースを読んだり、フリー宣言で大人じみた(立派な大人ですね)語りを披露したあとに、「ジャストミート!」時代の若い勢いを取り戻そうとしても、無理な話なのかもしれない。あれは、そういった意味で福澤にとって酷な仕事であるなあと思う。はじけるたびに昭和色に染まる福澤。過ぎた時間はもどってはこないのだ。あの3のついたメガネから、どんな景色がみえるのだろう。

 と、まあ福澤朗のことを考えながら、年を越した。故郷函館に帰省してるが、ずいぶん寂れたな。よく田舎の歴史ある映画館や銭湯や食堂や酒場で、古いポスターを見て「時がとまってる」なんて想ったりするが、函館は時の流れがとても残酷に爪痕を残している感じ。老舗が店をたたみ、去年できた店が今年もうなくなっていたりする。その店の前で「函館終わってるわ」とため息を漏らす人もいた。活気がないのは知っていたが、なんだか「老い」というものを街から感じるのである。足腰弱ってる感じ。

 年越しテレビは、ナインティナインを見た。火の玉を受け止めたいという企画。くだらなさに一本筋が通っていた。あいかわらず元気である。いい意味で高校の頃みてた時から同じような勢い。年末年始はしみじみしてる場合じゃない、いつまでも火の玉を受け止めようとする大人でありたいと思った。あくまでもニュアンスとして。

text by 福編

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