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2005年3月 6日 (日)

No music life.

やー、最近、友だちのリコン騒動に首つっこむ羽目になって、毎々週末まるつぶれ。ケッコンしてないのに、リコンのことを考えるのって、いやなもんだ。ケッコンもリコンの一種のように思えてしまう。子供の頃は、大人の言うことには素直にしたがってたが、夫婦のくだらないケンカを見てると、大人って本当は偉くなかったんだと思う。子どもみたいな理由で別れようとしてる奴もいるんだから。

話がそれそうなので、本題に入る。実は、リコンしそうな友だちの母親が「ろう者」で、いろいろ考えさせられることがあった。「ろう者」とは、耳が不自由な人(この言い方もバカ丁寧すぎて失礼な気もする)のこと。

ある日曜日、くそ寒い吹雪きのなか、午前中なのに、とかぶつくさ文句を言いながら、私はリコン問題で友だちの家に行った。そこで、はじめて友だちの母親に会った。会うにあたっての「事前説明」は受けていた。友だち(健常者)と母親(ろう者/生来)のコミュニケーションのとり方は、3つ。手話、筆談、そしてキュード・スピーチ。キュード・スピーチとは、手と口の形で意味を表現する伝達方法らしい。詳しい説明はこちらをご参照いただきたい。http://www.d-b.ne.jp/d-angels/sub7-2.html

で、手話もキュード・スピーチも出来ない私は、当然筆談となる。めんどくさいことこの上ない。私と、友と、友の母親は、小さな居酒屋の小上がりのような居間に集まった。なめらかに交わされる手話の合間、私は紙に向かってボールペンを走らせる。手話は友人が通訳してくれる。このコミュニケーションの時差、いらつくことこの上ない。この場では、私が障害者、つまり手話が不自由な人。カリカリというペンの音がよく響く。テレビはついていない。恐ろしく静かに会話が進んでいく。

「お茶入れてくる」と友人が席を立ち、母親と私が二人きりになった。そのとき、母親は懐から紙を取りだし、私に差し出した。
「やっぱり、別れてしまうのでしょうか」
きれいな字だった。
「たぶん」
と、私は返事を書いた。
母親は何かを書こうとしていた。私も何かもう少し書こうとしていた。居間はとても静かだった。重苦しくはない。母親とときどき目が合った。それは、とても不思議な時間。言葉がなくてもわかり合う感覚。妙な感動すら覚えた。

友人がお茶をくんできた。私は慌ててテーブルの上の紙をコートのポケットにつっこんだ。それを見て母親は小さな礼をした。友だちが「妙なこと言ったんじゃねーだろーな」という顔をしたので、私はお茶を飲んですぐ帰った。会話はもう済んでいた。

帰り道、玉光堂に寄った。視聴コーナーに行く。ヘッドフォンをつけたら、ガヤガヤした店内の音は遮断された。その時ふいに、タワーレコードのコピーを思い出した。「no music.no Life」。人によっては酷な言葉だ。音のない世界。母親の小さな礼。ポケットの中にある紙。ヘッドフォンをはずして、考え込んでしまった。

no2.jpg

text by 副編集長

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