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2005年3月29日 (火)

セメント試合

さあいよいよジーコ監督の首と、日本サッカーの未来がかかった一戦といっても過言ではないバーレーン戦である。

バーレーン
ペルシャ湾に浮かぶ島国で、面積は694平方キロメートルと佐渡よりも小さい。人口は約70万人。サッカー協会の登録選手数も5000人に過ぎない。

なるほど。人口がたった70万人ということは日本の約150分の1である。よくこんな小国がワールドカップの最終予選まで進出できたものである。

サッカーの世界では最近、ある程度の高い育成システムが整っていれば、人口の多さと経済力の高さがその国の代表チームの強さに比例するといわれている。考えてみれば当然のことで、人が多い方が優秀な選手が出てくる確率は高くなるし、経済力が高ければ強化に莫大な金を使える。
ヨーロッパではフランス、ドイツ、イングランド、イタリア、スペイン。南米ではブラジル、アルゼンチン。アジアでは日本、韓国。
あ、アルゼンチンは破産国家か。
いずれ日本も中国に抜かれるといわれているのも当然である。なんせ世界の人口の5人に1人が中国人。強化に本腰を入れてきたら抜かれるのも時間の問題だろう。くやしいけど。
唯一の例外はオランダぐらいか。まあ小国ではないが。

ということで、明日は人口と経済力の違いを見せつけて日本の勝ち。

っていうか人口とか経済力なんてどうでもいいから勝ってくれ!

中田も『3バックか4バックかなんて別にどうだっていい。勝てればいい』って言ってたしさ。

text by 編集長

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2005年3月24日 (木)

イラン戦

凄い盛り上がりですな。さすがワールドカップ予選。

「男だらけの10万人!」

そりゃすごそうだ。
しかし考えてみれば、スタジアムが男だらけなのはイランに限ったことではない。ヨーロッパや南米なんてたいがいそうだ。なんか恐怖の煽り方間違っているような・・・・
なんて書くと別に大したことでもなさそうだが、世界的に見てもあそこは本当に凄いらしい。
爆竹鳴りまくって、発炎筒バンバン飛び込んでくるんだろう。私は結構楽しみだけど。テレビ観戦だし。
日本からも1000人ぐらいのサポーターが行くらしいが、その中には当然女性も含まれている。

「イラン人男10万人の中に日本人女100人位!」

Jリーグとは全然違うと思うが大丈夫なんだろうか?黒い服着てれば大丈夫?
もし自分が逆の立場だったらどうなんだろう?イラン人女性10万人に2時間缶詰状態で囲まれるのって・・・耐えられないと思われる。女性はそのへん気にしないのかな?
日本サポーターは当然隔離されるから大丈夫なのか?
いずれにしてもよく行く気になったと思う。凄い!

肝心の試合の方は・・・はっきり言って負けてもOKでしょ。そりゃ勝ったほうが良いけど。
アウェイ3試合は1分け2敗ぐらいで良いわけだから、むしろ肝心なのは30日のバーレーン@埼玉の方。
これさえ勝てれば予定通りだといえる。

ということで、明日は気軽にビールでも飲みながらアウェイの雰囲気を楽しむのがベスト!(←本当かよ)

ちなみに私はひそかに期待している。海外組&4バックに。
1―0で日本勝ちを予想。

text by 編集長

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2005年3月16日 (水)

ホーム開幕戦

hitomoji

あ~、つまんなかった。
弱い。弱すぎるよ。スタジアムの雰囲気と選手の気持に温度差ありすぎ。
まともに蹴れない、止めれない、動けない。
勝ってくれといわんばかりの弱小チーム相手に得点の気配すら無し。
何しに遠くまで合宿しに行ってたんだろうか?

これから良くなると願うしかないか。

text by 編集長

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2005年3月15日 (火)

学生は皆、天才だ

教師になった友人が教えてくれたネタ。

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ある授業。次の英文の訳は?

「I am carried」

生徒は答えた。

「私はカレーです」

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質問「自動車産業で有名なアメリカの都市は?」

生徒は答えた。

「デ、デストロン」

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柔道の時間。畳の上に正座する男子たち。
いつも授業のはじまりに
日直が「瞑想!」と叫ぶ。
そして目をつむり、精神を集中する。

その日の日直が叫んだ。

「黙とう!」
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生徒「なんで俺、0点なんですか?」

先生「大黒、名前の欄をよく見ろ」

生徒「あ!」

先生「大里とは、誰だ!」

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「居眠りするな、木下!今、何の時間か分かってるのか!」

「説教の時間です!」

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落第手前の生徒ばかり集めて追試。
大甘の中学レベルのテスト問題。

1560年(永禄3年)に駿府・遠江・三河の太守、今川義元は天下人を目指して3万人の兵を従え京に出兵。道中には尾張があり、3万もの大群である今川軍に対し、清洲城には5千人ほどしか兵を保有してなかった。この時、絶体絶命の危機に陥ったのは誰?

学生の答え

「オレ」

再追試決定。
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現代文のテスト。
問「売り言葉に‥」と言えば

学生の答え

「へい、毎度!」
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教師ってけっこう楽しいみたいです。

text by 副編集長

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2005年3月10日 (木)

トイレで逮捕

北海道の空の玄関、新千●空港。編集長は東京へ帰郷するために年数回ここを利用する。たしか、年末頃だったと思う。理由は忘れたが、今回の帰郷に限り 「見送り」として私は同行していた。例のごとく編集長は、人目をはばからない大きな声でわめいた。

 「きた!きた!きた!きた!」

またか、と私は思う。これはウンコサイン。いつも聞いていると少々うんざりしてくるものだ。彼に言わせれば

「今日は特別だ。なんせ一週間くらい出してないからな、スペシャルな奴が来たんだ。すごいぞ。すごいぞ。」

なんだそうです。空港内の人々の視線が痛い。人の気も知らずに、はしゃぎながら編集長はトイレに駆け込んだ。不思議なものでツレがトイレに行くと、自分も行きたくなってしまう。後を追うようにして男子トイレに入った。兄弟らしき少年が二人と、背広のおじさんが一人、それぞれ小便器に向かっている。

小便をしている最中、先に出し終えた兄弟がかん高い声でなにやら騒ぎ出した。声にならない声で意味の分からないことをわめき立て、手も洗わずバタバタとトイレから走り出て行った。何事か、と横を向くと、となりで小便をしているおじさんと目が合った。嫌な予感がして、首だけで斜めうしろを向いた。私は叫 んだ。
  
「ドア閉めろ!」

白いケツを出した編集長がビクリと振り向いた。編集長は耳まで真っ赤になった。彼はいたずらっこのような笑顔を作り上げた、かと思うと、鬼の形相に変り、高速でドアを閉めた。

おじさんと私は、ほぼ同時に小便を終えていた。大便器の方から便所のカギをかけようと必死になっている音が聞こえる。おじさんは手を洗いながら深いため息を吐き出し、立ち去った。

便所のなかには、私と編集長だけになった。まだカギをかけようとやっきになっている。

「大丈夫か」

と、ドア越しに声をかけると、すかさず編集長は答えた。

「カギかかんないんだって。それに、なかなか出ないもんだからさ。だからさ…」

あきれて言葉がでなかったので、便所の外に出た。
背中ごしに

「いや、カギかかんねぇ、ヤベェ、ヤベェ」

という声が聞こえていたが無視した。

便所からすこし離れた喫煙コーナーで一服していると、奇妙な光景を目の当たりにした。トイレに入る男性が皆すぐ出てくるのだ。私はタバコを消し、早足で男子トイレに戻った。予想どおりの事が起きていた。私は叫んだ。

 「閉めろよ!」

白いケツがビクリ。耳まで真っ赤。編集長は鬼の形相でドアを閉めた。声をかけようとすると、察した編集長が先に言った。

 「ちがうんだって、知らないうちにドア開いたんだって。ホントにカギかかんないんだって。それに、なかなか出ないんだって。だからさ…」

 「いま、どうやってドア締めてんの?」

 「手で引っ張ってる」

 「まだ、ウンコ終わんねーの?便秘じゃないの?」

 「便秘?俺が?ハハッ、そんなワケねーだろ、ハッ」

笑い声を聞いていると、心配してた自分がアホみたいで腹がたってきた。

 「お前は、馬鹿だろ。笑ってる場合か」

 編集長はキレた。

 「んなこといってもしょーがねーだろ!いちいちうるせーんだよ!俺の勝手だろ!」
 
 たしかにケツを見せるのは、お前の勝手だ。
 便所を後にして、喫煙コーナーに戻った。
 一服して、しばらく休むことにした。まいっていた。よりによって、たまたま見送りに来た日にこんな馬鹿げたことに巻き込まれるなんて、あーついてない。なんてことを思いながら、空港内を行き交う人々を眺めていた。眺めていると、頭が痛くなって来た。

 1人の男が警官を連れて便所に向かって歩いている。空港内の交番から来たんだと思う。私は今日3度目となる便所に向かった。

 私は警官の視界に入らないように、入口付近で動向を見守っていた。便所の中では、男はどこかへ行ってしまったらしく、警官だけがいて、編集長の入ったドアの前で仁王立ちしていた。警官は40歳なかばと言ったところだろうか、結構ダンディな警官だった。体格もよかった。

 警官はドアをノックした。

 「入ってます」

 と、編集長は答えた。

 「すいません、警察ですけど。ちょっと出て来れますか」

 「………」

 「あのね」警官は慣れた口調でドアに向かって説明をはじめた。「あなたがね、ドアを開けたままで『大』をしているって苦情が入ったんですよ。ちょっと、出てこれますか?」

 「カギが壊れてるんですよ」

 「開かないんですか」

と、言いながら警官はドアを勢いよく引っ張った。ドアノブを握っていた編集長が中腰のまま、ケツを出しながら引きずられるように出てきた。警官があわててドアから手を話すと、もの凄いスピードでドアは閉まった。
 編集長は言った。

 「開いちゃうんですよ」

 「では、トイレの前で待ってますから、いいですか。終わったら出てきて……」

 警官が言い終わらないうちに、例の匂いが香ってきた。編集長が大胆にも出し始めたのだ。平静を保ちながら警官がもう一度言った。

 「じゃあねぇ、空港内に交番がありますから、そこで待ってます。後でゆっくり話をしましょう。」

 警官は足早に立ち去った。苦味ばしった顔をしていた。

しばらくして、トイレから引きつった照れ笑いをしながら編集長が出てきた。

 「やべぇよ、どうしよう」

 「交番行くしかねーだろ」

 「うんこで交番いく奴なんているの?」

 「いねえな」

 「飛行機のっちゃったらマズイかな」

 「その程度の罪で高飛びする奴はいねーだろ」

 「いねえな」

 と、いうわけで今度は交番に付き合わされることになった。交番での話をまとめると、

 「二度とこんな事するんじゃないよ」

 である。するわけない。しかし、彼ならやりかねない。
 余談だが、警官からこんな話も聞いた。

 「うんこ」と「うんち」。この二つの言葉には、はっきりとした違いがある。子供がすると「うんち」、大人がすると「うんこ」。大人と子供の境界線は個人差があるが、平均で言うと「中二」。さらに、200gを超えると、もう立派な「うんこ」として認定。野ぐその場合、「うんこ」をしてしまうのは有罪で、三ヶ月以内の懲役となる。尚、5分以内に後始末をすればOK。

 「あなたの場合、前例が無いからね、ちょっと難しいね。」

 と、警官は言った。当り前だ、前例がいたら驚くよ。

 その後、編集長(26)は事情聴取とかるい説教を受け、前科者になった。警官が真剣な顔つきで書きこんでいる調書をのぞくと

 「排便中に確保」

とあって、笑いそうになった。

 最後に、警官は事務的に言った。

 「じゃ、罰金2千円ね」

text by 副編集長


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2005年3月 9日 (水)

TOKIOでなくてはダメなワケ

TOKIOは働き者のアイドルである。荒れ地を耕し、日本家屋を建て、水田に水を引き、米をつくり、厳しい冬をのりこえ、ソーラーカーで日本一周し、カン蹴りに血道を上げ、漁船で海原へ出、24時間テレビで地球を救い、ドラマに出演し、コンサートもこなす。「なんでもできる」というよりは「なんでもござれ」の心意気。芸人顔負けのハングリー精神。この御時世、仕事があることはなによりだ。でも、TOKIOはアイドルなんである。いるかな?ハングリー。

ハングリーアイドルTOKIOがやるから、絵になる番組がある。と、最近思う。とくに「鉄腕ダッシュ」。ヘタな芸人がやっても、ダメな感じ。かといってSMAPならやりたがらない。半分芸人で半分アイドルだから出演できているような気がする。特異なポジションで生きる「すきまアイドル」に思える。

往年アイドルは、いるだけで仕事になった。トシちゃんは脳天気なだけで、お金がもらえた。マッチは生意気なだけで、曲が売れた。 現代は、近藤雅彦もレーサーとかやらなきゃいけないご時世である。他のジャニーズだって例外じゃない。生存率が低いから沢山卵を生む魚のように、グループを輩出している。シブがき隊・少年隊、光GENJI、男闘呼組、忍者‥。

稀に少年隊のような安定期に至った成功例もあるが、シブがき隊では薬丸とモッくんのみ生存。光GENJIは諸星がB級芸人的に棲息しているのをたまに確認。その他に、名前も顔も思い出せない行方不明者たちがいる。脳天気だったトシちゃんは、海面の水位が上がってるのに気がつかずに、波に飲まれて消えた感。Jrとして芸能界の海原に放った稚魚たちも、どれくらい生き残るか分からない。「かっこいい」「踊れる歌える」だけしか身につけていない温室で育てられたアイドルたちは、芸能界に荒波では生き残るのは難しいのだ。

このアイドルの温室効果的、危機的状況にストップをかける存在が「TOKIO」だ、と思う。「俺アイドルだから」を盾に仕事を断る、温室で育てられたヤワな奴等にできない仕事をバンバンこなしていく。田畑を耕せば、漁船にも乗る、アイドルをベースとした多角経営だ。トシ・マッチ時代には、アイドルに「させてもいいこと」と「ダメなこと」があったが、そのへんの暗黙の了解をなかったことにしてる。でもそれは「扱いやすい」っていう証明みたいなもんだが。昔「トキオ松岡、犬にかまれる」というニュースがあったが、これが「スマップ木村、犬にかまれる」だったら圧力かけて報道させてないと思う。

その往年のアイドルが持っていた権力の薄さが「TOKIO」のアイデンティティなんだろう。かつぜつの悪い長瀬、苦労臭を醸すリーダー、ガタイはいいが影が薄い山口、松岡のテンションが空転している感じ、国文の世渡り上手感。これら極フツーの近所のあんちゃん的特徴は、テレビの中で親近感に変換される。逆に「俺はアイドル」的な嫌味を中和し、最高の当たりさわりのなさを醸している。ある意味、高純度な好感度と呼べるかもしれない。

昔、SMAPの稲垣はTOKIOについて言っていた。

「俺、鉄腕なんとかなんてできないよ」

この一言が、TOKIOのすべてだ。アイドル気質が薄いからこそ、老若男女に愛される。今年はお米いっぱいできるといいね!と、温かな目で見ることができる。新日本石油のホームページでは、トキオのCM起用理由が書かれていた。

「男性、女性問わず、幅広い層から支持され、かつ明るく爽やかで、活動的な若々しいイメージを持つグループであり‥」

TOKIOは、当たりさわりのなさにかけては他の追随を許さないのである。

tokio

text by 副編集長

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2005年3月 6日 (日)

トラック引くなよ、アディダス

アディダス「不可能なんてありえない」のCMを見た後、アディダスのジャージを来たヤクザ風のおっさんを見た。目もとには、薄い茶色のサングラス。首に金のネックレス。手に怪しげなハンドバッグ。極道率98%。たしかに「不可能なんて」この方にはなさそうです。

おっさんを見てると、「不可能なんて」のコピーが、
ヤクザ調で聞こえてくるから不思議です。

ari

★アディダスの広告コピー
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不可能とは

不可能とは
自らの力で世界を切り拓く事を放棄した臆病者の言葉だ。
不可能とは現状に甘んじるための言い訳にすぎない。
不可能とは事実ですらなく、単なる先入観だ。
不可能とは誰かに決め付けられる事ではない。
不可能とは通過点だ。
不可能は可能性だ。
不可能なんてありえない。

IMPOSSIBLE IS NOTHING.
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 この言葉の後に、あのおっさんなら、
「だから、明日までに100万用意しろ、な。不可能なんてない」
とか言ってきそうである。
うーむ。強者の言葉に聞こえてきます。

 もともとこの広告に、素直に感動できてないというのもある。

 もともとアディダスの広告に妙な「しこり」を感じてた。雑誌広告では、モハメド・アリとかベッカムとか(あと憶えてないけど)偉大な(?)スポーツ選手が出てきて「不可能なんてない」を表現していく。ベッカムはともかく、あのアリの娘に言われちゃあ、感動一直線である。でも心のどこかで「アディダスに言われたくねーよ」と思っちゃう。偉大なスポーツ選手を起用して企業広告するなんて、よくあるのにね。なんか、アリの偉業の尻馬に乗った感が凄くする。どうしてだろ。

 例えば、1点負けているサッカーの試合、後半に折り返す間際のロッカールームで「不可能とは‥」と演説ぶたれたらそりゃやる気も出るってもんだ。あの広告を見て、そんな気持ちになるのは、わかる。たぶん「不可能」は、シビアな逆境のときに力を発揮する台詞なんだと思う。アリは戦う対象(試合の相手とか、不利な条件とか、差別とか)があった。乗りこえる試練があった。不可能みたいなこともあった。でも、アディダスが直面している逆境って何?と思っちゃう。
 
  例えば、白血病の芸能人が骨髄バンクの広告に出演するのは、違和感ない。筋が通ってる。両者の出演者と広告主の向かってる方向が一致してる。「骨髄バンクにご協力を」だ。じゃ、「不可能なんてない」というファイティングスピリッツは、アディダスのやる気と一致してるの?

 で、これがその答えみたい。
  看板の前に二人が吊るされて、吊るされたままボールを蹴りあってるパフォーマンス。「IMPOSSIBLE IS NOTHING」って、そーゆー意味だったわけ?

adi2

 おもしろいけどーさー、と思う。耳目を集めるパフォーマンスではあるけど、無理矢理「不可能」をつくり出して、遊んでるだけに見える。アリとかと違うだろ。国内外を問わず「かっこいい!」という賛美者あまたの広告である。おもしろい発想だけどさ。敵がいないもんだから、仮想敵作ってるんじゃない?なんか主旨とずれてるんじゃないの、アディダスジャパン。

 よく比較されるナイキのCMでは、スーパースターがスーパープレーを魅せる。屁理屈なくスポーツの楽しさを教えてくれる。かっこつけ映像満載。でも、押し付けがましいメッセージはない。ノリのいい黒人が「ルールなんて無視してみようぜ。さあ、スポーツだ。楽しくやろうぜ、ブラザー!」と言ってるイメージだ。アディダスのCMは、深いシワを眉間に刻む初老の男が「不可能とは‥」と語り出すイメージ。つまり、アディダスはナイキの逆座標を目指したんだと思ってた。

 でも、やっちゃったんだ、びっくり広告。最近では「IMPOSSIBLE IS NOTHING」という字の入ったトラックにロープくくりつけて、人間一人で引っぱるパフォーマンスをやっている。筋肉番付じゃねーか。

track

 これなら芸人の方がよっぽど「IMPOSSIBLE IS NOTHING」を体現していると思える。日本のバラエティのぶ厚い歴史をひもとけば、お笑いウルトラクイズなんかのほうがよっぽど不可能に挑戦している。ワニに近づく桜金造。サメとたわむれる上島竜平。熱湯風呂、拷問水車、吊るし上げ熱湯しゃぶしゃぶ。ユーラシア大陸横断をはじめとする電波少年も凄かった。芸人にこそ「不可能なんてない」は相応しい言葉である。なかでも「Mr.IMPOSSIBLE IS NOTHING」は、江頭2:50。グループで言えば、電撃ネットワーク。

 アディダス。トラック引き始めたら、もうダメだ。いつか誰かが「これって、前にテレビで見たことある」とか言い出したら、もうブランドイメージは地に落ちる。このままズルズル「広告的おもしろ」を続けても、バラエティ化が進むだけ。吉本興業や大川興業にかなうわけない。「無茶」に関して伝統と歴史で負けている。争っちゃいないと思うが、同じ土俵にあがってるように見える。早めに軌道修正したほうがいいぞ。そもそも「不可能なんてない」というスケールのでかい看板に無理があるんだから、撤回したほうが賢明かも。それも、不可能じゃない。

text by 副編集長

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No music life.

やー、最近、友だちのリコン騒動に首つっこむ羽目になって、毎々週末まるつぶれ。ケッコンしてないのに、リコンのことを考えるのって、いやなもんだ。ケッコンもリコンの一種のように思えてしまう。子供の頃は、大人の言うことには素直にしたがってたが、夫婦のくだらないケンカを見てると、大人って本当は偉くなかったんだと思う。子どもみたいな理由で別れようとしてる奴もいるんだから。

話がそれそうなので、本題に入る。実は、リコンしそうな友だちの母親が「ろう者」で、いろいろ考えさせられることがあった。「ろう者」とは、耳が不自由な人(この言い方もバカ丁寧すぎて失礼な気もする)のこと。

ある日曜日、くそ寒い吹雪きのなか、午前中なのに、とかぶつくさ文句を言いながら、私はリコン問題で友だちの家に行った。そこで、はじめて友だちの母親に会った。会うにあたっての「事前説明」は受けていた。友だち(健常者)と母親(ろう者/生来)のコミュニケーションのとり方は、3つ。手話、筆談、そしてキュード・スピーチ。キュード・スピーチとは、手と口の形で意味を表現する伝達方法らしい。詳しい説明はこちらをご参照いただきたい。http://www.d-b.ne.jp/d-angels/sub7-2.html

で、手話もキュード・スピーチも出来ない私は、当然筆談となる。めんどくさいことこの上ない。私と、友と、友の母親は、小さな居酒屋の小上がりのような居間に集まった。なめらかに交わされる手話の合間、私は紙に向かってボールペンを走らせる。手話は友人が通訳してくれる。このコミュニケーションの時差、いらつくことこの上ない。この場では、私が障害者、つまり手話が不自由な人。カリカリというペンの音がよく響く。テレビはついていない。恐ろしく静かに会話が進んでいく。

「お茶入れてくる」と友人が席を立ち、母親と私が二人きりになった。そのとき、母親は懐から紙を取りだし、私に差し出した。
「やっぱり、別れてしまうのでしょうか」
きれいな字だった。
「たぶん」
と、私は返事を書いた。
母親は何かを書こうとしていた。私も何かもう少し書こうとしていた。居間はとても静かだった。重苦しくはない。母親とときどき目が合った。それは、とても不思議な時間。言葉がなくてもわかり合う感覚。妙な感動すら覚えた。

友人がお茶をくんできた。私は慌ててテーブルの上の紙をコートのポケットにつっこんだ。それを見て母親は小さな礼をした。友だちが「妙なこと言ったんじゃねーだろーな」という顔をしたので、私はお茶を飲んですぐ帰った。会話はもう済んでいた。

帰り道、玉光堂に寄った。視聴コーナーに行く。ヘッドフォンをつけたら、ガヤガヤした店内の音は遮断された。その時ふいに、タワーレコードのコピーを思い出した。「no music.no Life」。人によっては酷な言葉だ。音のない世界。母親の小さな礼。ポケットの中にある紙。ヘッドフォンをはずして、考え込んでしまった。

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text by 副編集長

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