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2004年10月17日 (日)

ヤスダの追憶

「ヤスダ」と聞いて思い浮かべるのは、ケイか、ナルミか、タダオくらいでしょうか。今回は、元モ−娘の「圭」の話でもなく、木梨の妻の「成美」でもなく、プロレスの「忠夫」の話でもない。「クリックスヤスダ」の話。

今年、いつだったかな、まったくの偶然で「東京都サッカー審判協会」というサイトにばったり出会いました。その中で、会長 長坂幸夫さんの書く「クリックスヤスダ追憶記」という小文を何気なく読みはじめ、ちょっと心に残りました。序文は以下のように。

>日韓ワールドカップ開催を目前にした5月、我々サッカー関係者に衝撃的ニュースが流れた。
>それはサッカーシューズの老舗である(株)クリックスヤスダ倒産のニュースであった。

(中略)

>さて、この記事は私に忘れがたい追憶を呼び起こしたのである。

ここから先、会長はあふれんばかりの記憶の波が打ち寄せるのを、自分でもおさえることができません。会長が生まれた1932年に、クリックスヤスダの前身である安田靴店が開業したこと。その「間口一間の小さな店」が父の実家の近くにあったこと。5歳くらいの頃、父がよく連れていってくれたこと。店へ向かう「この道は中央に桜並木の分離帯のある環三通りとなって」いたこと。その頃のサッカーの時代背景にまで描写は及び、店の周辺にあったサッカーが盛んな学校を6つくらい上げ、安田靴店が日本サッカーの発祥の地にあったことを語ります。

さらに、話はパーソナルながらも、壮大になってきます。

>父の弟に長坂謙三がいるのであるが、
>この私の叔父に当たる謙三はサッカーの名手として知られた人物であった。

会長の叔父の思い出なのですが、これがまた、すごい叔父。

>叔父謙三は写真ばかりではなくイギリスからサッカーシューズを取り寄せ、それを安田重春さんに分解させて、それと同じ型をとって復元させたのである。こうして国産の第1号サッカーシューズが生まれた。

>叔父謙三は府立五中から慶応大学へ進んだ仲間と共にサッカーの戦術研究と実践を続けていた。叔父謙三のサッカーの戦術研究は3バックシステムを独自に考案したことである。

>いうなれば、叔父謙三と安田重春さんによって独自のサッカーシューズが開発されていったのである。

この後も、嘘みたいでマジな話が続いていく。いずれの話もその記憶力と描写の細かさに驚嘆するばかり。
そして、「この靴が何時作られたかは判らないが、昭和10年として」とはじまる、安田靴店で創られたサッカーシューズの、圧巻の描写へ突入する。昭和10年は1935年。68年前の靴。68年前の記憶。

>靴は牛皮で作られていて色は変色して焦げ茶色をしていた。現在のサッカーシューズと比べるとずっと重く、つま先部分は4枚くらいの薄い皮が重ねられて硬く固められていてトーキックに適するように作られていた。かかとの部分も同様に厚く硬く作られていた。また靴の裏は靴の上部と手縫いで縫合されていて、その上にもう1枚の皮底が打ち付けられて厚い靴底になっていた。靴底は中央線に沿って直線上に少し盛りあがっていた。靴裏のボッチは厚い皮を丸形の鑿で打ち抜いたものを2枚重ねて釘で打ち付けていた。靴裏の先と最後部には三日月型の皮を打ち付け、ボッチは前部に4個、後部に2個打ち付けていた。 

なんという鮮やかな記憶でありましょうか。靴の、裏の、ポッチまで、余すところなく、描いています。表現的に決してうまいというわけでもありませんが、文の量とかみても、やっぱり溢れてる愛。ヤスダへの、シューズへの、サッカーへの愛。描こうとしているところに意味がある。変色して、重く、重ねられ、硬く、固められ、厚く、底を打ち付け、少し盛り上がり、前部に打ち付け、後部に打ち付け、こうして長い長い工程を経て、つくられてきた形。それが、会長の、サッカーシューズへの、忘れ得ぬ思い出の形なのであります。

会長は、「東京大空襲」のあと「焼け野原の街を歩いたこと」などなど、「終戦」を通して「日本サッカーの再建」の物語を「安田靴店」を中心に続けていく。ダムが決壊したかのように溢れだす会長のとめどない追憶の奔流です。プロジェクトXのような世界。

そして‥‥

>1964年、東京オリンピックが開催されたときは、安田靴店は押しも押されぬサッカー専門店として全国にその名は知れ渡り、サッカーシューズを入れる青色のビニール袋は全国のサッカー選手が手にしていた。叔父謙三は、患者から感染した結核に犯され1941年(昭和16年)に若くしてこの世を去った。病床にあっても、なお、サッカーの戦術の研究を続けていたという叔父謙三は、戦後の安田靴店の繁栄を草場の陰からじっと見つめていたのである。そして今、安田靴店消滅の悲報をどのような気持ちで聞いたであろうか。

東京都サッカー審判協会のサイトで、こんな心のこもった文章と出会うとは、思いませんでした。

text by 副編集長

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